とりよみブログってなんなのか、をめんどうくさく語る
「とりよみブログ」は「SFはとりあえず『オススメ』を読んでみよう」を短くしたタイトル。
SFはとりあえず『オススメ』をよんでみようブログ………ほらね。
このブログは、「オタク」なんて言葉がなかったころからチマチマとSFを読んできたさとうが、読んできたSFの本を紹介するために立ち上げた。
っていうとかっこいいんだけど、アフィリエイトにつながったらいいなという下心もあってブログをはじめた。
そして現在、SFに限らず本を紹介することにした。(その理由はこちらの記事に書いてある)
昭和生まれのさとうはけっこうな年齢なので、SF冬の時代も夏の時代も見てきた。
(読んできたといえないところがツラいし、カッコ悪い)
今、アニメや映画のなかにどんどん科学的な設定や小道具が増えてあふれて、SF好きとしてはとても楽しく、そしてうれしい限り。
でも。
SF小説を手に取ってくれている新しい(そして若い)ファンのかたは増えているのかな?
出版業界の不況などをメディアの報道で知るたびに「アニメや映画では、あんなにSFっぽいものが受けているのになー」とちょっと悲しく感じていた。
出版業界が不況だとおもしろい本の刊行がへって、いわゆる売れ線の実用本ばかりが増えるような気がする。
本、ってさ、いちばんお手軽で経済的な、不思議の世界を体験できるツールだとさとうはずっと思っていた。
今でこそネットが発達してスマホで簡単におもしろいものを見ることができる。
けどむかしは「どこへでも持ち運べて自由に妄想できてお金も比較的かからないおたのしみ」といったら、さとうには本しかなかったんだ。
ずーっと長いことそれで楽しんできたので、今でも本が楽しい。
いや、スマホはべつの意味で楽しいけど
スマホはおもしろい映像にあふれているけど、寄る年波には勝てない。
視力の限界を考えるとあの画面を見つづけるのはツラい。
そして影響されやすいさとうは、映像のカタチで情報がはいってくると、それ以外での場面や状況を複数考えることがむつかしい。
すっごい影響されるから、すっごい努力がいる
本は文字情報を脳内で映像やにおい、音に勝手に変換して自分だけの世界を楽しめる。
それを第三者的に提供されるべつの解釈や作品で「えっ、こんなのもアリなの?」とぶちこわされたり驚いたりと、思ってたのとはちがう刺激が受けられる。
そういう、自分では考えつかなかった刺激を受けられるという点だけでも さとうは「本ってすごいな」と思う。
想像力を自分で育てられる、他の刺激からも育ててもらえる。そういう点がすごいと思っている。
自分のなかに入ってきた情報をもとに、複数の場面や状況を考えることができると、人生に選択肢があらわれて前に進められる。
仕事でならいろんなアイデアがうかんで成果を得られるし、生活では思いやりをもつことができる。
想像力って、大事な要素をもっているんだ。
おそらく、デジタルネイティヴの人は、映像でSFを見ても複数の場面を考える楽しみかたができるんだろう。
だからなのか、それとも元々SFがせおっている「オタク臭」のせいで嫌われているのか、SF小説を紹介しているブログが、WEBというSFチックなフィールドで探してもすくないなあと感じてた。
それにSF小説を紹介しているブログを見にいくと、いわゆる「有名」な「話題」になっている本のタイトルが多くて、どこもおなじ本を紹介しているんだと思うことがあった。
これまでの出版数から考えても、もっといろんな本が紹介されていてもいいのに。
WEBに精通していないさとうの探しかたが下手なんだろうけど
SF好きは「オタクやん」と揶揄されることもしばしばの人種なので、もっと不思議でヘンテコなSF小説紹介ブログがたくさんあってもいいのに。
SF好きは理屈っぽいっていわれるけど、好きなものを語るときに理屈っぽくならない人っているのかな?って、考えたこともあった。
SF好きのさとうだけど、こんなわたしでさえSFの話をしていて「うあ、理屈多すぎてメンドクセェ」と思う友人もいる。
でもずーっと仲よしだけどね
で、少しだけどさとうが読んできたSF本を紹介したら興味をもってくれる人が出ないかなぁ、と考えて、とりよみブログを始めた。
SF小説に興味を持ってほしい。本のカタチで文字のカタチで(電子書籍でもよいので)読んでほしい。
なぜなら、自分だけの(つまり独自の)想像の世界をもち、他人の想像や作品となったものとのちがいを楽しめる幅のある人間になってほしいから。
くりかえすけど、ゆたかな想像力を育ててほしいのだ。
想像力はあなたの人生を豊かにし、困難を乗り越える力を生み出してくれるからです。
「ホンマでっか?」というTV番組で植木さんという心理学の先生がおっしゃってた。
「オタクというか、妄想力のある人は強い。困難があってもそのストレスを自分のなかで妄想によっていやしていけるから」
さとうにはその実感がある。
子どものころから、ツラいことや悲しいことがあってもなくても、夜、ふとんに入ると現実逃避をするように想像や妄想にふけった。
ツラいことや悲しいことを考えるのは、ホントにしんどいのよ。
そんなのは現実世界で生活しているときだけでじゅうぶんじゃない?
それに想像の世界では自分の「好き」にしたがって遊べるので、楽しかったの。
そのときの想像や妄想は、なんでもありだった。
なんでもありっていうことはSFチックなのよね
べつにね、アニメや映画でもいいの、ほんとは。
でも、本のほうが、文字からのほうが、想像(妄想)の自由度が広くて想像力を育てる力が強いと思ってるので、オススメしている。
さとうって誰なのか、をはしょって語る
さとうの昔
昭和は64年つづいたが、その半ばくらいに生まれた。
だから成人になるまでマルっと昭和な人間。
あまり何も考えずに学生時代をすごし、就職し、寿退社し、ずーっと主婦ってた。時々、パートタイマーとかしていた。
さとうは、本を読むのが好きな人間。
多読でも精読でもないけど、文字の書いてあるものならなんでも読んでいた。
と、むかし父が言ってた
小さいころに「スーパージェッター」なんてアニメにご執心だったくらいなので、たぶん、なるべくしてSF好きになったんだろう。
ちなみに学生時代に思いがけないところで再放送を見たら、やっぱりおもしろかった
学校に通っていたころは、図書室の本がぜんぶ読めたらすごいだろうなと思っていたけど、それはできなかった。
今でも、なんでもっと読んでおかなかったのかなってくやしく思う
パソコンは、よくある「永遠の初心者」。
仕事をしてたころワープロを使っていて、パソコンってものにちょっとは興味あったの。
ウィンドウズ95がはやったときに初めてパソコンを買った。めっちゃうれしかったけどわかんないことだらけで、メールするのとネットを見るしかしなかった。
その後、OSがバージョンアップするんだーとかいろいろ驚く。
だってシステムの基本構造が変わるなんて考えてもみなかったから
都会に住んでる友人が「あんたみたいな人こそ、Macを使うといいよ」とススメてくれたので、買いかえるときにMacにしてみた。
だけど、すごくよくわかるということはなく、四苦八苦十二苦くらいした。
近くにMacを使っている人がいなかったのでお手軽に聞くこともできず、とても困った。
いなかだし、主婦だから引きこもっていたし
あまり何も考えずに学生時代をすごしたが、全然考えていなかったわけでもなくて、妄想力だけは順調に育っていた。
本好きだったから「何かを書く仕事とかにつけたらいいなぁ」ということもモンヤリ思っていた。
たぶん、本が好きな人は一度は考えたことがあると思う。
何か、書く仕事。
ってさ、何を書きたいのかも詰めてなかったし、書くために必要な能力をみがくこともしてなかった。
だからそんな仕事につくのは無理ってモンよ
さとうとブログの接点
平成な世の中になって、WEBの世界に「無料ブログ」のシステムがはやった。
そうするとミーハーだからさとうもブログというものをしたくなる。
「何か書きたい」「無料ブログのシステム」
この二つが目の前にあったら、やらないって選択肢はない。
本屋に行くと「無料ブログをやってみる」の本がいっぱいあった。
まず1冊買って本の通りにやってみた。
そしたらできたんだよね〜。自分がイメージしてるものとはちがったけど、WEB上にさとうの個人スペースができたわけ。
超うれしかった。「ヤッホーッ」って感じ
さとうはデジタルネイティヴじゃないからこんなことくらいで喜んでいた。
でも、そもそもシステムとかプログラミングとか、理系のにおいのするものには近づかなかったので、それ以上どうにもならなかった。
けっこうかわいいテンプレートを選んだので、日付とか、タイトルとか、好きな感じにアレンジしたかったんだよね。
テンプレートを選ぶのはすごく楽しかったんだけど、そこでお手上げになっちゃった。
でも、さとうのよくないところは「そこまでちゃんと知らなくたって、ブログ開設できたじゃん」とタカをくくっていたところ。
自分のためのWEBスペースができたことで、自己満足にひたっていた。
自分は知っておかなきゃ困ることを知らない人だって認めてなかったし、そんなことを認めて勉強するのめんどいなーって思ってた。
だってこの歳になって、習ってもいないことイチから独学するの、大変だなってしか思えなかったから。
意味不明なアルファベットが延々並んでいるようなものを、どうしろと?
かといって専門学校にかよって習うとか、考えられなかったし。
お金がかかることはしたくなかった。
ちなみに何を書いていたかというと、他愛もない日常のグチとか、好きなものについて。でも、さとうのそんな瑣末事(ちっさなこと)なんてだれも読まないし。
ブログに何らかの計算とか操作とか、いわゆる今でいうSEOのようなことが必要だなんて、ぜ〜んぜん、ちっとも知らなかった。
勉強しない人間のすることなんて、そんなものよ
そのうち「何か書きたい」気持ちはぬるい二次創作(でも文字だけ)に興味が移っていった。
学校時代に似た趣味の友人ができて、オタクな話で爆・盛り上がりだったのね。それが続いてた。
しばらくはこっそり自分のパソコンに書くだけ。
それから他人様の作品をネットで読むだけ。
とりあえず書く欲望はそこそこ満たされたので、公開するつもりもなかった。
だってネット上にはすごいうまい文章を書く人がいっぱいいて、そういうのを読むだけで幸せな気分だったんだもん。
ところが、永遠に読めると思っていたサイトさんがポツポツと、閉鎖なさった。
趣味の活動なので、事情があればつづけられなくなることは理解できる。
理解できたが、残念な気持ちだった。
ああ、もう読めないんだ、という思い。
と同時に「大好きです。読めて幸せです」という感謝も伝えてなかったなと反省。
なんか、そこでWEBに対する考え方にすこし変化が生じた。
今振り返ると、もう年齢も年齢だったので、今アクションしないと「さとうはこんなことが好き〜」なんていえる機会はなくなっちゃうのかもしれないと思ったんだろう。
そんなことを考えていたときに、例の、東日本大震災が起きた。
初めて津波の映像をこの目で見た。
………凄かった。そして怖かった。
こりゃ大変だ、と心底思った。
もちろん生活のインフラもぜんぶ止まっていたので、生活そのものが大変な苦労だった。
あったのは、考える時間だけ。
インフラが復旧しても、「そのうちにね」なんて気軽には言えなくなった。
今やらないと。好きなこと・やりたいことがいつやれなくなるかわからないのだ。
それでまず、無料ブログで下手くそな二次創作の文章を上げてみることにした。
なるほどこうやるのか、とネットでちょこちょこ調べて、無料なりのセキュリティとか写真活用とかも試してみた。
一方でいろいろなブログを読んで、好きな本の情報を仕入れた。
本を読むのはあいかわらず好きだったの
そのうちに、なんだかかっこいいテンプレートを使っているブログがあるな、ということに気づいた。
トップに、本の紹介の画像がスライドする。
どんな本が紹介されているのか、見てるだけでわかるのでいいなぁと思った。
記事がカード形式に並んでいるのもかっこよかった。
このかっこいいテンプレートはどこのなのか調べようがなくて(何せ素人なもので)「いいなぁ、どこのテンプレートかなぁ」とずーっとうらやましく思っていた。
うらやましかったので、それを使っているブログに何度もお邪魔した。
そうやってWEBの世界をウロウロしていたら「ブログで稼ぐのなら」みたいな記事が目に入った。
たしかに。
本を紹介するブログでも本の画像のそばにAmazonとかのボタンがあったので、そこでポチッと買ったら何%かの手数料がブログのかたに入るんだろうとは思っていた。
そうすると、さとうがSF本を紹介してだれかが気にいって買ってくれたらさとうにも手数料が入るわけだ、と考えるよね?
お?これはいいんじゃない?と思うわけ。
思ったの
あのころはまだアフィリエイトという言葉を知らなかったねぇ。
付け焼き刃を重ねつつ
そういうわけで、稼げるブログってなんだろなともっと調べてみた。
そしたら偶然にも、あのテンプレートを(それはWordPressで使うSTORKというテーマ)紹介してるブログにめぐりあったの!
それが「ブログマーケッター・ジュンイチ(現・デジタルマーケティング専門家ジュンイチのデジマ研究所)さんだった。
読めば読むほど「ああ、さとうもちゃんとブログしたい!」と思わせる、
- 説得力(熱い想いのことよ)
- ハウツー(本当にわかりやすい)
- 楽しく取り組ませてくれる語り口・人柄(なんつってもこれが一番やる気にさせた)
が詰まってるブログだった。
やっぱ、やりたいことをやるには勉強が大事なんだ。
そんなあたりまえのことを、こんなだらしないおばさんにもちゃんと理解させてくれた。
というわけで勉強しはじめたんだけど、めっちゃ大変だった。
さとうは学生のときパソコンのパの字も習わなかったし、パソコン使ってるのは電気オタクだけだったから使ってるところを見たこともなかった。
オトナになってパソコンを買ったけど「メールする」「ネットを見る」だけで終わってた。
何をどうしたらええっちゅうねん!
しかたがないので、ジュンイチさんのブログをめっちゃ何回も読んだ。
何回も読んで、書いてあることもわかってきて、あとは行動してみるだけ、やってみないとわからないっつう段階まできた。
でもさ、やっぱり実際にお金を出してやってみるのは怖かった。
お金を払って、というのは何事においても納得したり覚悟したりって心の準備が必要だ、さとう的には。
だって、少ない収入でやりくりしながら生活しているわけで。
それなのにいわゆる「余計なこと」に手をだして生活に使えるお金がまたへっていくのは(そしてそれがうまくいかなかったらと思うと)なかなか踏ん切りがつかない。
うまくやっていく自信はないし、勉強なんかぜんぜん足りないのはわかってるし。
やってもいないのに、やったら「荒らし」とか「炎上」とかに巻き込まれるんじゃないかと恐れ、取り越し苦労もした。
イチから順番に勉強したわけでもなく教えられたわけでもないさとうには、何が怖いのかわからないのに怖かったんだ。
もうね、知らないことが多すぎるから。
今知ってることはほとんどが付け焼き刃だから。
どーん!と怖いことが起きたら、両手を上げてあたふたとパニクるだけなんだって思うから。
それならもっと勉強せぇや、って怒られるかも知らんけど、何をどう勉強したら怖くならないの?って、わからんじゃないの。
付け焼き刃の勉強って、そういうもんなんだ。
でもいまさら、イチから体系的に勉強って、疲れるだけで楽しくない。
おばさんだから体力もない(脳みそ的に)
これじゃ足りないところいっぱいあるよねと自分でダメ出ししつつ、付け焼き刃な勉強をつづけながらブログをしてみようか、ということになった。
もう言いわけのテイだな
怖いのはいまだに
知識が足りないから、じつは何もかもが怖い。
このブログもおそるおそる記事を書いている。
「どうしても紹介したいっ」と思ってるサイトは勝手にリンクを貼ってる。(ごめんなさい。貼らないでほしいかたは外しますのでコメントください)
SNSも怖いからまだ登録してない。 → がんばってTwitterのアカウントだけは取った。さとう@toriyomiblogです。
誰かに見られてたたかれたらへこむな、と怖い妄想してる。
誰にも見られることなく自己満足で終わることにも怖い妄想してる。
ネットって、WEBって、自分ではコントロールできないからもう何もかもが怖い。
そんなこといったら、WEBだけじゃなくて現実の社会生活もコントロールなんかできないっしょ?
………っていわれそうだが、現実社会にはもう半世紀も生きてきたんで、ちっとは積み重なった経験とか知識があるんだな。
「こんな時にはこんな対応」「あんな場合にはあんなやり方」とすこしではあっても対処のしかたがわかっているわけで。
これ、大事よ。
「知ってる」と、安心する
怖いのはね、知らないから。知らないからなんだね。
なんだかわからないまま、不安が元になっていろんな妄想が膨らむからなんだ。
対処のしかたがわかれば不安も小さくなる。
と、いうわけで。
ブログ、することにした。ジュンイチさんのいうとおり、
- XServerを使い(もちろんお金はかかるけど、安全安心を優先した)
- STORKを使い(だってこのテーマがかっこいいと思ったのがはじまりだから)
- 稼げるように努力する(いや、払った分くらいは回収したい)
という流れで。
やってみないと経験値は積めないし、積めなきゃいつまでも怖いままだから。
それとやっぱり、何か書くことで収益に結びついたらうれしいな、と思っているし。
おばさんだから何事もめっちゃゆっくりですが、前を向こうと思った。
好きなことをするのにも、やっぱいつまでも勉強が必要だ。
というわけで、