【火星ダーク・バラード】人為的な進化は受け入れられるのか

SFといえども、小説だったら人間を描く。

人間が出てこないSF小説を、さとうはまだ読んだことがない。

でも。

誰かに「人間を進化させる」と大声で言われても、なんだかな〜って信用できない感じだ。

目次

【火星ダーク・バラード】のあらすじ

火星がパラテラフォーミングされミニ地球と呼ばれるほどに社会環境が充実してきた近未来。

火星治安管理局の水島がバディとともに凶悪犯を護送中、奇妙な現象に巻き込まれた。意識を取り戻すと凶悪犯は逃亡。バディは何者かに射殺され、水島は捜査当局にバディ殺害の疑いをかけられる。

疑いを晴らし真実を知るために水島は個人的にこっそりと捜査を開始する。偶然のようなタイミングでアデリーンという少女に出会うが、彼女は火星の総合科学研究所が遺伝子改変で生み出した「プログレッシブ」だった。

水島は、アデリーンとそのプロジェクトを秘密にしようとする圧力と闘いながら、アデリーンにひとりの人間として自由に生きてほしいと願う。

アデリーンの行く末はどうなるのか。

そして水島の知りたかった真実はどうだったのか。

人為的な進化をしなくても、ひとりの人間として自由に生きるのはむつかしい

SF小説ではたびたびテーマとなる、新人類とか次世代人類とかニュータイプ。

進化するとか、させるとか、まあいろいろヘリクツを考える。

人間のゲノム(生命の設計図・生物のもつ遺伝情報)を解析できるようになって、遺伝子を操作する技術が人間の手に入った。

だが技術が手に入るまえから「新しく改変された優秀な人類」をめぐる話は山ほど出ていた。

だからこれから現実でも、遺伝子改変の良し悪し、新たに生まれるであろう人類の人権確立、人類社会の啓蒙・啓発など、山ほど課題が出てくる。

さとう

もう出てるかも

さとう

啓蒙と啓発は似ているけどちょっとちがう。「知識や意識を高めるための働きかけ」って感じの意味だけど、詳しくはこちらを読んでみて

これからますます、人間の良識を問われる状況が広がる。

でも、そんなのは今でも問題で大事だ。

ひとりの人間として自由に生きるのは、誰であってもむつかしい。

今の社会だって、良識がうまくはたらいているわけではない。

偏見や差別がなぜなくならないのだろう。

私たちは発達した大脳と大脳辺縁系をもつ生き物だ。

それはいろいろな情報を取り入れて考えることができる、ということだ。

でも、感情や欲望にかんたんに屈して、学びもしないで大声をあげる人間が出てくる。

それをなんとか解決したいと思う科学者たちが、プログレッシブという種をつくったというのがこの話(いや当初の目的はちがったんだが)

でも結局、自分たちは変われないので、プログレッシブの扱いもダメダメなまま。

人間が人間を、人為的に進化をさせようとしてもむつかしい。

だって進化させる側(科学者)が進化させられる側(プログレッシブたち)のことを一般大衆に公正に知らせて、社会状況をととのえるっていう大事なことができないから。

プログレッシブを、自分たちと同じ権利をもつひとりの人間として見てないんだもの。

科学者たちはどうしたってプログレッシブを「自分たちがコントロールする」と考えている。

本来、進化とは条件に適応していく方向で新しいものへ変わっていくことを言うんじゃないのかな。

それは人類という種だけにとどまらず、進化せざるをえない環境も含めていっしょに変化していくものだろう。

人間が条件をつけて人間をコントロールすると考えるところからはじまるのは、まちがっている。

さとう

条件に適応して機能が退化していくのも、一種の”進化”らしいよ

ひとりの人間として自由に生きるのは、誰であってもむつかしい。

みんながそれを心にかかえて、地道に生きていくしかないのよ。

人生ってそんなもの。

力のある作家さんにはありがち、それは改稿

この作家さんは文庫本のあとがきに「書き手は物語を作るときに、いくつかの筋道を想像し、」「そのうち選べるのは、ひとつだけです。」「ただし一度だけ、この法則が当てはまらない場合があります。単行本から文庫になるとき」と、違う結末を選択することが許される状況を説明している。

そう、この話は単行本と文庫本で話の中身がすこしちがう。

水島の年齢やラストのオチのつけ方、そして水島のアデリーンへの接し方など、気づきにくい改稿から大幅な改稿までいろいろと変わっている。それがまた、微妙な味わいをかもしだしていた。

さとう

二次創作を読んできたから、さとうには改稿したい気持ちがよくわかる

さとう

設定や結末がちがっていたらどんな話になるのかってよく妄想するのよ〜

でも読むには、図書館で借りないといけない。

もうマボロシのデビュー本あつかいで、古本屋でも手に入らないらしい(Amazonだったら手に入るかな?)

さとう

実はこういうことはそこそこある

さとうの好きな作家の一人に高村薫氏がいる。

この方の書くものも細部にわたってリアル(取材をキッチリするらしい)で凛とした文章で、余計な甘ったるさがない。

そのくせ、思わぬところでドキリとする色気を感じさせる。

高村氏も単行本と文庫本の中身がちがう。

かならず改稿し、その際、単行本はすべて本屋から引き上げてしまうという。

つまり改稿した「最新版」がいちばんよい出来だから、それを読んでほしいというわけだ。

だからやっぱり、単行本は図書館から借りるしかない。

きちんと調べて、骨格のしっかりした話を書く作家さんは、改稿してちがう結末をつくりだすんだね。

読むほうは、全部のパターンを読んでみたいと考えてるよ。

さとうがこの本を読んだ理由

タイトルを見たときはすなおに「SFだな」と思った。

だから買った。

プロローグを読んだときも「SFだな」と思った。

だから読み続けた。

でもSF小説なのに、読んでいるときの気持ちは(そして内容も)ハードボイルドだった。

止まらなくなった。

SF小説だからって、いかにも作り物のような話ばかりが書かれているわけではない。

推理小説風だったり、ホラーだったり、現実を生きている私たちが想像できる仮想現実が書かれている。

そこがおもしろい。

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この記事を書いた人

昭和生まれ。なのでリアルな顔写真はご勘弁を。
オタクという言葉がなかったころからSFを読んでいます。
オタクのはしくれなので読んだ本を紹介します。

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