【ロミオとロミオは永遠に】昭和のサブカルチャーを知りたいかぁっ!

この話は、映画のアレとコレとソレを足して3で割ったような荒唐無稽さと破天荒さと少々居心地のわるい不気味さと、サブカルチャーにこだわるおもしろさがごっちゃになっている。

まさに昭和的なものにどっぷりとつかりながら、希望を追い求めて走る感じだよ。

目次

【ロミオとロミオは永遠に】のあらすじ

汚染された地球に日本人だけが残り、汚染処理に従事する近未来。

そこから抜け出すには唯一「大東京学園」で卒業総代になることしかない。

苛酷な入学試験を乗り越えても学園生活はさらに苛酷な前時代的ものだった。

やがて最下級のクラスに降格してしまった主人公たちが見たものは………

希望を維持するのは大変だよね?

映画は好き?

最初に「アレとコレとソレ」と言ったのは、「バトル・ロワイアル」と「大脱走」と「20世紀少年」のこと。

クラスメイト同士が競いあって殺しあう、なんて荒唐無稽で現実ではありえない設定だよね?

トンネルを掘って脱走しようとしたら森までちょっと長さが足りなかった。
でも脱走のために何でも試しちゃうわけだ?

とっても昭和的な、意味のない誰かの価値観で世の中が暗く支配される様子は不気味でしかないよね?

この本は、そんなものがおもしろおかしい昭和のサブカルチャーとともに、炊き込みご飯のように混ざったまま話がすすんでいく。

主人公は高校生たち。そして彼らを取り巻く学校のスタッフ。
なかでも生徒たちを監視し、学校のすべてを取り仕切るタダノは、飛び抜けて際立つキャラ。

登場人物のなまえも、もくじに書いてある各章のタイトルも、話のなかで微妙に曲解されている事実も、ぜ〜んぶ昭和へのオマージュ(敬意、称賛)で固有名詞が使われている。

さとうみたいな昭和人間には「ああ〜、はいはい」などと苦笑いしながらも懐かしく思ったりするのね。

エリートへの道は、いま

エリートへの唯一の道である「大東京学園」は、入るために入り口にたどり着くだけでも命がけ、そのうえ入ってみたら苛酷な学園生活が待っていた。

「新地球」へ移民できなかった「旧地球」人である日本人で唯一、新地球へ行くことができるのは「大東京学園」卒業総代だけ。

そのために3年間、死に物狂いでがんばらなければならないはずなんだが………学校の実情を知れば知るほど、この学校に存在意義はあるのだろうかと疑問を感じる生徒が出てくるんだね。

最初に入学を目指していたころの希望なんか、あっさりと砕かれていく。

もちろん、そんな考えてもしかたのないことは考えず、飼いならされた家畜のようにひたすら学園での成績維持にチカラを注ぐ生徒もいる。

なんたって、卒業できるだけでも、仕事のない汚染物質まみれの旧地球ではエリートだから。

上からいわれたことを鵜呑みにして信じて、自分のアタマでよく考えることをしない人間はいつの世もどこにでもいる。

でもそういう人間にとっては、とりあえず学校側のいう通りに過ごし、卒業を勝ち取ることが希望さね。だから矛盾は感じない。

余計なことを考えたり感じたりした人間にとって、「大東京学園」での希望ってなんだろう?

つらい状況が続いていくと、希望を持ち続けることそのものがつらくなる。

希望の反対は絶望かなと思いがちだけど、希望を失なうってもしかしたらむなしくて空疎な人間になってしまうことなのかもしれない。

俯瞰して見るくせを持とう

さとう

俯瞰(フカン)って、物理的に「高いところから見渡すこと」のほかに「広い視野でものごとを見る」「大局的な視野に立つ」「客観的に全体像をとらえる」というような意味のたとえとして使われるの

若いうちや、あまりにも自分の希望・理想にこだわりすぎていると、なかなか「広い視野」「大局的」「全体像」にたどり着けない。

たどり着かなくても、うまくやっていける方法もあるし、やれている人はそれでいい。

でも、希望を失ってふぬけになってしまうのが怖いなら、できる範囲でいいから「広い視野」「大局的」「全体像」を頭のなかにおいて考えたり行動したりするのがいい。

映画やドラマ、小説でも、むかしから主人公たちが危機を回避したり乗り越えたりするとき、結局助けになるのは「広い視野」「大局的」「全体像」を考えつつ見たり聞いたりして集めた情報のおかげだったりするじゃん。

めんどうくさいし労力かかるけど、自分を助けるのはそういう自助努力なんだ。

この話のなかでも、結局自由を獲得するには脱走しかなく、そのためにどう行動したらいいのかを考え続けていた生徒たちだけが、次のステージへ進む手段を手に入れられる。

努力って、しんどい。

でもそれは、自分のため。他人によけいな迷惑をかけないため。自由に生きてくため。

さとう

がんばろうっと

さとうがこの本を読んだ理由

これ、最初のほうをチラッと見ただけで「うわ、昭和や〜」って読む気になる。

昭和をちょっとでも知っていたら、どこにどんな昭和へのオマージュがあらわれてくるのよ?って興味津々だ。

さとうはどっぷり昭和づけなので、読んでしまった。

感想としては、オマージュというよりインスパイアだったかな、って感じだった。

さとう

かんたんに言うとオマージュは敬意・称賛、インスパイアは感化・啓発。カタカナ語の意味はこちらのページで確認してね

ゆるやかになだれて行くように話は進んでいくが、さとうは個人的に、ラストに不満がある。

ネタバレになるのでここでは紹介しないが、う〜ん、これ、ありなのかなぁと小さな?が出てくる。

でも、人によって受け止めかたはちがうだろうから、まあ読んでみて。

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この記事を書いた人

昭和生まれ。なのでリアルな顔写真はご勘弁を。
オタクという言葉がなかったころからSFを読んでいます。
オタクのはしくれなので読んだ本を紹介します。

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