移住可能惑星を探し実地調査を計画するホメロス計画が、粛々と進行する近未来。
地球人がさまざまにもがいている間に、何がしかの地球外生命体からと思われるニュートリノが観測された!
どうする?どうする地球人⁈
【エリ・エリ】のあらすじ
信仰を失いつつある人類世界。50光年以内の移住可能な惑星をさがし地球外生命体に接触しようとするホメロス計画が粛々と進む。
ホメロスのスタッフとして関わる科学者や宇宙人にインプラントされた精神科医、信仰心の揺らぐ神父やホメロス計画を推し進めたい政治家、反対勢力などの人間たちが計画をめぐって動き回っていた。
そんなある時、まさしく地球外生命体からではないかと思われる大量のニュートリノが観測された。その解釈と千載一遇のチャンスをどうすればいのか?
宇宙人にからだを侵害されたと思い込んでいる精神科医が、よくもわるくもこの話を回していく。
宗教と科学は理解しあえるのかな
さとうのまわりにはクリスチャンの友人もいるしムスリムの知りあいもいる。
ムスリムってイスラム教の信者のことです
さとう自身は七五三では神社にいき葬儀は寺でおこなう、わりと普通な日本人。
宗教について真剣に考えたこともなく、親からの教えをそのまま常識だと思って実施したり行動したりしてきた。
宗教と科学が歴史的に対立してきたことは、いろいろな本や映画でしめすとおり。
けどさとうは「人によって信じるものがちがうだけ」と考えて生きてきたから、他人の信じるものを非難しなくてもよくね?ってくらいにしか思ってなかった。
宗教と科学が非難しあっているうちに、政治と経済がよろしくない方向にかたむいていくことの方が心配だし。
宗教と科学は拠って立つ土台が違うのだから、たがいに相手を納得させようとするのは、無理がある。
たがいにね、自分の信じているものが万能だと思わなければ相手を受け入れる余地が出てくると思うんだけどな。
宗教と科学の一致点があるとして、それを見つけるのははるか未来だと思う。
だってどちらも、まだまだわからないことが山ほどあるじゃない?
「盲目的に」信じるのも「わかっていることだけ」を主張するのも、片手落ちっていう点ではいっしょ。
どちらかだけで生きていくのは、じつはツライ。
この話の登場人物でいえば、榊神父とクレメンタイン博士はたがいに逆方向から、でも宗教と科学の両方からものを考えようとしているふうに見える。
自分のなかで宗教も科学も理解したいと考えてるのかもしれない。
神は超越者か、地球外生命体か
キリスト(もしくは神)が宇宙から来た高度な文明の宇宙人だっていう話は、小説・マンガ・映画なんかで使われるネタだけど、あなたはどう思う?
SF的にはど定番なのでさとうはアリだと思うね
信仰に篤くない人間にとっては、神が超越者でも地球外生命体でもあまり変わりがない。
どっちにしろ、地球上でふつうに生きている人間に理解ができる存在ではないもの。
でも、榊神父は(そして神父のもとで信仰していた信者のかたは)神をおそらくは超越者として信仰していたはずなのよ。
ある時、人間として耐えがたい苦しい状況を思いなんらかのエア・ポケットにおちいる。
「神はいないのではないか?」
超越者がいなかったらなにが困るのだろう?
信仰のこと以外で困ることってあるのかな。
超越者がおこなったはずの奇蹟の意義は考え直されるか、そもそも奇蹟は行われない。
地球外生命体(≒宇宙人、と思ってください)がいなかったらなにか困るかな?
いま現在「いる!」という明確で誰にでも見せられて疑いのない証拠はないも同然状態なので、仮にいないとしてみる。
宇宙の研究をしている人たちや宇宙人に傾倒している人たちは「いるはず」と主張するだろうけど、いま現在、いなくても大きく困らない状態だ。
さとうはそれほどまじめに信仰もしてないし、宇宙人の存在もいたらいいなくらいにしか考えてないからこんなことを言っちゃうけど、神が超越者でも地球外生命体でもかまわないんだ。
信じている人たちが「神である」「神がいる」という思いを持てればいい。
この本のなかでも教皇猊下は「捜神はすべてこの中で行われている」と自らの頭を指さして「すなわち、思惟だ」といっている。すぐあとに「だが、それは言葉遊びにしか過ぎない」ともいってるけどね。
SF小説の鮮度は表記か内容か
この本の話は、ホントに近未来なのよ。
ホメロス計画の前段階である《50光年以内の移住可能惑星のデータ収集》が、2016年にはいちおう終結をみていることになっているんだね。
おおっ?
じゃあ今はもう、そのデータをもとに無人探査船による実地調査の計画が(すなわちホメロス計画が)準備されているわけだ?
………ってな感じに話が進んでいる。
現実をいうと、ハビタブルゾーン(生命居住可能領域)の条件というか定義は、いまはまだ書き換えられている途中だ。
水があればいいとか酸素の比率とか、そういう単純なものでは生命が存在するには十分ではないらしい。
話の内容は新しいとは言えない。けど、ふるいかというと、そうとも言い切れない。
まえにも書いたけど、宗教と科学の一致点を見つけることができるのは、もっといろいろなことが広く深くわかるようになって、人間の思考が成熟してからなんだと思うのね。
思考の成熟、ってまだなにをさすかはわからないけど、相手のアラさがしをしていがみ合っている状態でないことは確かだ。
もしかしたら、人間ではなくAIがそこへ行き着くのかもしれない(この本はそんなナニカを暗示させる終わり方をしてるし)
そう考えると、内容的にはまだまだいろいろ妄想できる。
SF小説の鮮度って、なにをさすのかな?
さとうがこの本を読んだ理由
裏表紙にね、「神の科学的証明」による信仰回復、なんて書いてあった。
神を科学的に証明するなんてことが本当にできると思ってんの?
……っていうことにまず興味を惹かれた。
だって今まで同じような取り組みをして、ヤマほど論争してきたんだよ?それでもまだ、落ち着いてない。
いったいどんな風に考えてるのかなと思うと、読まずにはいられない。
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