【むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました】満足と幸福でシンドイを無くしたい

30年来の友人と口論になった。

最近のさとうはイライラして、なんかおかしい。

もっとゆったりと生きたい。

だからヒントが欲しくて「ウェルビーイング」についての本を読んでみた。

目次

【むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました】の内容

第1章 ウェルビーイングってなんだろう

あまり日常でなじみのない「ウェルビーイング」という言葉を、どうにか理解してもらおうといろいろな説明を試みる。

健康とは、単に疾病がない状態ではなく、肉体的・精神的・社会的に完全にウェルビーイングな状態である

1948年 WHO(世界保健機関)憲章前文
さとう

これ、学校の保健の授業で聞くよ

第2章 日本文化から見つけたウェルビーイング

日本人にとってのウェルビーイングとはどんなものだろうと、日本文化から探る。

たとえば「むかしむかし、あるところに……」ではじまる日本の昔話。

やたらとおじいさんとおばあさんが登場し、「だれ」「どこ」も明確ではなく、立身出世もせずにオチがつく。

子どもにかたる話のはずなのに、なぜか話のつくりが落語と似ている。

………という具合に、日本の文化のなかに隠れているウェルビーイングのヒントを探っていく。

第3章 健康から見るウェルビーイング

本の著者ふたりと医師の石川氏との特別鼎談を紹介。

さとう

鼎談(ていだん)っていうのは三人で向かい合って話すことです

この話し合いのなかで石川医師は「疲れたって伝染病なんです」と発言なさっている。

同様に「難しいですねぇ」「大変ですねぇ」が日本人は大得意、ともおっしゃっている。

総合医療を学びながら臨床の場にたつ石川医師が、日本的ウェルビーイングについて考察している。

第4章 ウェルビーイングへの道とは何か

「ウェルビーイングはハックできるのか」という問いかけから入るこの章は、これまでのまとめを語る。

さとう

ハックって意味を調べると深いんだけど、ここでは「うまくやる方法があるか?」ってくらいに考えといてね

結論をいえば、「○○をすれば○○できるはず」という原因と結果という因果関係の話にはなりにくい、とのこと。

日本文化のあちこちに日本的ウェルビーイングの素地があるので、それらを参考にしていくのはどうかと説明している。

ウェルビーイングとはあなたにとっての幸せ

日本語に翻訳できないカタカナ言葉は、逆にいろいろな意味に解釈できる。

わからないものは、さとうはすぐにググる。

さとう

古い。今はただ、検索するでよい

ウェルビーイングとは「誰かにとって本質的に価値のある状態、つまり、ある人にとってのウェルビーイングとは、その人にとって究極的に善い状態、その人の自己利益にかなうものを実現した状態」とWikipediaに載っている。

もっと短くいうなら「心身と社会的な健康を意味する概念」だ。

ただ「ウェルビーイングや幸せのかたちが、本来、一人ひとりでそれぞれに異なるもの」だという。

つまり、万人にもれなく当てはまる公式のような定義はないからね〜、ということになる。

さとう

そうだね、人によって幸せに感じる状態はちがうもの

でも、息苦しかったりイライラしたり疲れた体感のまま生活を続けたりはシンドイので、さとうはとにかくヒントだけでもつかみたかった。

自分にとっての幸せとか、幸せに感じるってどういうことだろう。

ウェルビーイングを理解するためのヒント

ウェルビーイングという言葉を単体で理解するのは、ちょっとむつかしい。

でも「誰かを推すという幸福な信仰」というページに、ウェルビーイングはbeing =「いる」ということ、とある。

たとえば子どもが友達を作るとき

  • ただ一緒に「いる」(being)
  • 自然とつながりができ友達に「なる」(becoming)
  • 一緒になにかを「する」(doing)

という順番が自然な流れとして成立する、と説明されている。

いまの世の中、子ども時代は「大きくなったら何になりたい?」と聞かれ、学生時代には将来についてアオラれ、社会人になったら金融の勉強を強いられて「副業しないと」と追い立てられる。

女性はそれに加えて「産めよ」「育てろよ」「どうせ家にいるんだから家事ぜんぶやれよ」と責められる。

ウェルビーイング = well-being は直訳するなら「よい状態で、いる」こと。

こんな時代に「負けないように」「カッコ悪くないように」「イケてるって評価されるように」「怒られないように」とキバって生き続けることは、wellでもなければbeingな状態でもない。

ウェルビーイングについては、すでに第1章で大きなヒントが出ている。

「ウェルビーイングとは人生全体に対する主観的な評価である『満足』と、日々の体験に基づく『幸福』の2項目によって測定できる」

「むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました」より引用 p.34

つまりねぇ、満足と幸福感がそろえばウェルビーイングだろうな、ということらしい。

さとう

そりゃそうじゃん

さとう

え?満足と幸福感はどうやって手に入れるのよ?

社会が変わってくれないとむつかしい部分もある。

けれどまず、自分個人のウェルビーイングのためになにが大事か個人的に知ることをやってみよう。

さとう

個人的に、なにが大事かを知るの?

そうそう。たとえば

  • 「だれ」「どこ」が明確でなくおじいさん・おばあさんばかり出てきても、なぜか落ちのついてる昔話でホッコリ
  • 「和歌のチカラで神様だってごきげんになるんだぜぇっ」なので日本語の七五調でつぶやいてみる
  • 日本文化は昔から「別アカ」「オフ会」をやってたので、これからも楽しもう
  • 「表の反対は裏」という西洋的考え方ではなく、秘密めいた「表の反対はじつは奥」という日本的考え方でいこう
  • 心を満たされる時間をもつために「だれか」を「なにか」を推そう
  • 成長にともなう「期待」を一回捨てよう

この本を読んでいると、いろいろなページにいろいろな形でヒントが置かれている。

余談だが、「昔から別アカやってた」とか「鳥獣戯画」とか、日本人はそもそもオタク人種だったのではないかと思うと笑えてくる。

さとうがこの本を読んだ理由

この本を買ったのは、あまりにおもしろいタイトルだったから。

だって、西洋の論理がマルッと日本人に当てはまるわけ、ないじゃんっていつも感じてた。

そこを刺激された。

友人と口論した自分を振り返るのにも役立った。

さとうはいろいろなことに余裕がなくなっていて、友人つきあいもキツキツになっていたんだな。

というより、今どき日本人にありがちな「human-doing」におちいっていたさとうは、「well-being」に近いところで生活している友人がうらやましくて嫉妬していたんだ。

さとう

それがわかったとたん、気持ちがスッキリした〜

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この記事を書いた人

昭和生まれ。なのでリアルな顔写真はご勘弁を。
オタクという言葉がなかったころからSFを読んでいます。
オタクのはしくれなので読んだ本を紹介します。

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