けっこう不祥事が発覚して「メイドインジャパン」の信用も揺らいでいるこのごろ。
この本を読んだら、世界中に出荷されている日本製の機械のことを思うと同時に、人間って生きるのに必要でないところでよくも争う生き物だなと思った。
【ヨハネスブルグの天使たち】のあらすじ
人間の業と本質をえがく、日本製ロボットの関わる5作だ。
ヨハネスブルグの天使たち
毎日夕立のように、少女型のロボットが45分間、マディバ・タワーの屋上から落下する。2000台近くあるそれらの、ある1台と「目が合った」と感じる少年と少女が生きているのは、内戦の続く近未来の南アフリカだった。
ロワーサイドの幽霊たち
あの2001年9月、誰もが忘れない史実を中心に、しかし整合性のないストーリーが人間の本質をむき出しにしながら「ロボットを落下させる」ゴールに向かって進んでいく。進んで、いるのだろうか?
ジャララバードの兵士たち
なにごとも平和のために発明されるが、すぐにそれらは攻撃に使う手段へと変わる。アフガニスタンでさまざまな民族の価値観にはさまれながら取材し逃走する主人公に、殺人ロボットとして改造された日本製玩具人形がせまってきた。
ハドラマウトの道化たち
一方では無政府状態で部族同士が争っている。他方では人種も信仰もバラバラな寄せ集めを「多様であること」の一点でまとめあげた新興宗教が存在する。どちらも結局、過剰なまでに自由を求め競争する。価値観に意味はあるのか。
北東京の子供たち
北東京のさびれた団地のなかで、先の見えない現実とロボットの存在に翻弄されながら子供たちは生きている。信じるべきものはなんなのか?
やがてすべてはAIに取って代わるのか
むかしからSFを読んでる身としては、生身のデータをどうやってデジタルに転写して生きるんだろうという疑問がなかなか消えない。
それはさとうが年寄りの理系できない人だから
人間は、ものすごい数のパーツでできている、ものすごい精巧なプラモデルのようなものだという意見がある一方、そのようにして人工的に作り上げたとしても人間のように動くことはむつかしいという意見もある。
一つ一つのパーツが組み合わさったとき、人間は生き物なので「統合的」にはたらく、ということなんだそうだ。
それはさておき。
人間は消費しないと満足できない「欲」を抱えているから、資源が尽きそうになるとどうしたって争う。
でも。
AIが人間に取って代わったら、消費する部分がかなり抑えられるよね?
だって、高性能に作っておけば、家もいらない、食料は電気の供給のみ、セックスはデータ交換で済み、虚飾も意味なくなる。
この本は、別にAIバンザイの話ではなく、人間の代わりになる人型ロボットメインの話でもない。
にもかかわらず、日本製ホビーロボットの存在が軸になる連作の話で構成されていて、他のロボットやAIの話の本よりも「人間がロボットになっちゃったほうが地球のためなんじゃないの?」って思いながら読んじゃったよ。
さとうがこの本を読んだ理由
それは、裏表紙の説明に「何年も落下を続ける日本製ホビーロボット」という言葉があったから。
読み始めてみたら、最初は内戦中の南アフリカのスラムの場面から描写が始まっていて、しばらくは「なんだー」と思って放っておいた。
でも、落下し続けるロボットってどんな状況かなぁと思い出して読み直そうとページをめくっていたら、「夕立までには部屋に戻り、」のとなりの行に「半地下の中庭へ落ちていく少女らを眺めながら、」という記述があって、おわっ!って目にとまった。
ロボット → 少女型、なのか → 落ち続けるって??
こうなったら読むっきゃない。
やっぱり、最初に引っかかった言葉につられて読むとおもしろい発見がある。
どれもポップではなく、すぐそこの現実に似ている状況をえがいている。
だから明るくもないし、読みっぱなしで終わるような展開でもない。
でもね、SFがいずれ現実になるのなら、社会のなかにいる自分の意見をちゃんと持っとこう、って考えさせられる。
考えとかないと、自分が誰かのなにかに振り回されちゃうから。
気をつけようっと
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