はじまりは女学校の登校。
美人画にときめく女学生の様子などがつづき、浪漫を感じさせる。
が、プロローグを読んでいる身としては、そんなにほんわかとした流れにはなるまい、と前作のことを思い出す。
時代の波に押し流され、運命がまわりまわって……
【機巧のイヴ 帝都浪漫篇】のあらすじ
プロローグ
如州電影撮影所では今、通俗的なメロドラマが撮られていた。
張桜香という女優の話題になり、視察に訪れている上役が酒席に呼べと言いだすと、如州電影協会の理事長がちょっとした脅しを口にした……
前編
女学校のそばに建っているホテルに、あこがれの美人画絵師が逗留していると聞いて、ナオミはこっそりと出かける。
ロビーにはうさんくさいジャーナリストの林田がいて、ゴタゴタした挙句、絵師にあわせてくれた。
林田はどうもワケアリの人物らしく、ナオミの友達のイヴ(伊武)の養父・轟八十吉が警視庁の知りあいに身元を調べてもらう。
気になる点があった八十吉はナオミの母・フェルとともに林田に会いにいった。
そのことに腹を立てたナオミは、林田のそそのかしもあって家出する。
座毛崎の林田の母親のもとで汁粉屋を手伝うことになった。
しばらくして林田がナオミを天府まで連れ帰ったとき、大震災に見舞われた。
林田の母を心配して座毛崎まで迎えに行った林田とナオミだったが、林田をつけねらう謎の男に、ふたりは拉致されてしまう。
後編
フェル電器産業が如州國の電力事業の買収に動いていた。
フェルがほしいのは利権ではなく行方不明のナオミの情報や身柄だ。
だから伊武が女優として如州電影に潜り込む。
如州電影の理事長は遊佐といい、軍では特高警察のような仕事をし、大震災のころは無政府主義者を拉致してさまざまな人体実験をし、殺害がバレて監獄にも入った男だった。
フェルに協力的だった男が遊佐の策略で大ケガを負い、遊佐の考えていることがわかってくる。
「理事長が女優をおともに連れてロケ地を下見に行く」という行動が他国への亡命であることをつかんだフェルと八十吉は、それを止めるために行動に出た。
丁々発止の八十吉と遊佐、そしてフェル。

丁々発止とは、1 激しい音を立てて、刀などで打ち合うさまを表す、 2 激しく議論をたたかわせ合うさまを表す、です
そのころ如州電影では爆発でも起きたのか、大火事になっていた。
できそこないの機巧に改造されていた林田はあやしげな薬を打たれて意識がはっきりとしないまま動きまわる。
ただひとつ、自分でもはっきりと言葉にできないまま心の中にある感情に導かれて動きまわった末の落ちつき先は……
エピローグ
フェルとナオミと伊武が朔太郎と新しい生活をはじめて、今日はお花見だった。
だが自転車で転んだ伊武は、それっきり動かなくなる。
心のあり方を機巧を通じて考える
機械として完璧につくっても、機巧としてうごくためにはもうひとつ「ナニカ」が必要、らしい。
それは心や魂にかかわるナニカ、つまり「想い」というエネルギーなのだろう。
だがこれは、機械・機巧にかぎったことではない。
というか、むしろ人間のほうが心を育てるのは時間がかかり、方法も決まってない。
強い想いを伝えればうまくいく、わけではないことは、世の中のニュースを見ればよくわかる。



親の教育虐待とか、ストーカーの行動とかね、困るわ
心のあり方。
これを正面から考えるのは、たくさんの要素や事情があってパターン化はできない。
ひとつ言えるのは、想像力をもって思いやりをしめすことが大事になる、ということ。
相手の事情を考えて状況を想像して思いやる。
めんどくさいと思っちゃうよね。
でも自分が弱い立場だったら、思いやってほしいだろ?
人間が心を育てる時期は子どもで、事情を考えてほしいとか状況を想像してほしいとか、そんな理屈は考えられない。
なんだかわからないけど理不尽で不愉快な思いを強いられるんだ。
私たちは完璧ではなくても、思いやりをもって子どもの心を育てていかなくては。
見た目だけではなく、ひとりの人間として自立できるように中身を育てるのは、エネルギーがかかるのよ。
機巧人形の活躍を読んで、そんなあたりまえのことをしみじみと考えた。
さとうがこの本を読んだ理由
三部作のふたつ(機巧のイヴ・機巧のイヴ新世界覚醒篇)を読んだなら、おもしろさがわかっているんだから3作目も読むに決まっている。
しかも近代史をよく知らないさとうでも「近代のこと、知りたいわ」と思わせるような筋立てだった。
歴史は、教科書に載るエピソードがいつも同じものだ。
けれどよく載るエピソードを妄想するとこんな話になり、もしかしたら現実はこっちか?と思うことのおかしさや不思議さ、不気味さが、さらなる読書欲をかき立てる。
舞台設定や地名・登場人物名さえ気にしなければこれはパラレルワールドの物語かと思ってしまう。



パラレルワールドというのは、我々の世界と同一の次元を持ちながら並行して存在する別の世界を意味します
時代小説というかたちは、ある種の(もしくは異端の)パラレルワールド・ストーリーなのかもしれない。
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