人は見たいものしか見ない、といろいろな場面で語られるけど、そんなのあたりまえすぎて普段は誰も意識しない。
でも、本を読んでいても、読みたい理屈を読みたい感情で読みすすめている、って気がついているかな?
【虐殺器官】のあらすじ
9・11テロとの戦いから対策を考えた先進諸国では徹底管理の認証だらけの生活となる。しかし発展途上諸国ではなぜか内戦が急増する。
その混乱のかげに存在するとウワサされているジョン・ポールを追って、クラヴィス・シェパード大尉はチェコへ向かった。
虐殺の文法とはなにか。
ジョン・ポールはなぜそんなものを発見したのか。
あなたにも虐殺するための器官があるんだよ
9・11テロとの戦いから対策を考えた先進諸国では徹底管理の認証だらけの生活となる。しかし発展途上諸国ではなぜか内戦が急増する。
そういう近未来世界で、アメリカ軍で唯一の暗殺部隊に所属する「僕」──クラヴィス・シェパード大尉の、一人称ですすむこの話はタイトルがタイトルだっただけに話題を呼んだ。
めっちゃ褒めちぎる感想から「厨二病かいっ」てメタクソ否定する評価まで、まあ、いろいろあった。
著者である伊藤計劃氏の、寡作にして夭折なさったことが、作品の評価に色をつけているのではないかとも世間ではいわれて、本質から離れたところでも話題につきなかった。
寡作(かさく)って芸術家などが作品を少ししか作らないこと、夭折(ようせつ)って年若くして死ぬこと、をいうの
虐殺器官、とはなにか。
「器官」であるからには、私たちみんなの人間の身体にあって、みんながその作用に関わっているはずなんだ。
あなたにもある虐殺のための器官について、あなたはどう感じるの?
コミュニケーションって翻訳作業なのさ
シェパード大尉はこの世界の虐殺に深く関わるジョン・ポールなる人物を暗殺するか、確保するかの任務を負っている。それは何度も失敗しながらそれでもじりじりと核心へ近づいていく。
ジョン・ポールは自分だけが納得する理由(としか思えなかった)により、研究のあげく突き止めた「虐殺の文法」なるものを用いて、アメリカ以外の国に内戦を引き起こすべくタネをまく。
大きな争いの、その元となるきっかけが、ジョン・ポールの個人的な理由から始まっていくのを知ると、人間ってのは本当に怖い生き物だなと思う。
外野ではさ、「虐殺の文法って、結局どういうやつなの?」「具体的なものが何も書かれてないじゃん」「昔からこういうアイデアの話、あったよね」とうるさい。
でもね、前書きのパスカル・キニャールの引用に、この話のおそらく半分くらいを説明できる理屈が入っているとさとうは考えている。
ハウツーばかり求めるのは、ちょっと賢明じゃない気がするよ。
先日、NHKのふるいドキュメンタリをふりかえる番組をみた。ルワンダ虐殺についてだった。その番組のなかで虐殺を煽動した立場の人間は、いちども「殺せ」とは言ってない。にもかかわらず、ツチ族はさっきまで隣人だったフツ族に大量虐殺された。なぜいちども「殺せ」と言ってないのにフツ族は虐殺に走ったのか。
これはこの本の元ネタのひとつになるのではないかと考えた。
ハウツーによらなくても、事件は起こるということだ。
パスカル・キニャールのすべてを読んでいるわけではないので正確なことはわからない。
けれど「人間の言葉が表現しているのは言葉全体の四分の一でしかないと見積もられている」のならば、おたがいに相当な努力をしないと、言葉を使っての意思疎通なんてムリっぽい。
テロの加害側と被害側。
シェパード大尉側とジョン・ポール側。
そして、この話を読む側と書く側。
言葉を介してのコミュニケーションがうまくいってないから、さまざまな意見が出てくる。
本の中の世界だけではなく、この話を読んでいるあなたと書いた著者のあいだにさえ、すでに様々な乖離が生まれていて、この話をレビューするさとうはすでに著者の策に引っかかっているのかもしれない。
乖離(かいり)っていうのはそむき、はなれること
おおっ怖っ。
そんなふうに考えたことはないかな?
あなたが受け取ろうとしてるものと、著者が伝えたかったものとのあいだにものすごい距離があいているとか、向いている方向が全然ちがうとか、かもし出す色がまったくちがうとか、そんなことはないだろうか。
コミュニケーションっていうのは、相手の考えや意見を自分のなかで翻訳する作業がはさまる。だから相手になにかを伝えたいときも、相手に伝わるような翻訳をしなければならない。
それは本を読む時も同じ。
まずは著者の気持ちになって読んでみないといいたいことが掴めない。自分にわかるように翻訳するときに、かたよって翻訳しちゃうことになる。
言葉を介して他人と(あるいは他人の考えと)向き合う、コミュニケーションをとるって、けっこう高度な技能だ。
この話では「思考は言語に先行する」っていってるけど、言葉を知らなかったら概念(思考)は育たない。
本のなかでも言ってるけど、なにによらず「卵が先か鶏が先か」になっちゃうんだね。
あなたは思考できてる?それとも言語に寄りかかっている?
ロボットよりも残虐な理由
人間が言葉を理解するって、理論だけじゃなくて感覚・感情も必要。
体感をともなってはじめて正しく理解できる。
人間の行動を判断するのは最終的には人間でしかない。だからロボットが下す判断よりも湿度があるし、その分残虐かもね。
虐殺の文法がどのようなものであるかがわかったとき、あなたはそれを使わないでいられる自信はあるのか?
ロボットなら「使うな」というコマンドひとつで使わずにいられる。
たとえばマンガでデスノートってあったよね。名前を書くと書かれた人を死なせることができるノートが手に入ったら、書かずにいられる?
さとうには、使わないでいられる自信はない
自分だけが使えるある種のチカラを手に入れてしまったら、なにかあった時にきっと使う誘惑には勝てない。
そこが人間の欲深さ、自分勝手な傲慢さ、弱さだ。
そしてそれこそが、ロボットにはない残虐さにつながるのだよ。
人間って、怖いねぇ
さとうがこの本を読んだ理由
タイトルが衝撃的だった。はじめて聞いたときは怖かった。
だって、器官だもん、自分にもあるんださ?って思っちゃうじゃないの。
そうしたら怖いじゃないの。
でも、だからこそ読まないと怖いイメージだけで終わっちゃうと思った。
話題作だったしね。
本全体は宅配ピザなどのエピソードにおけるシェパード大尉の「なんでもない日常」と仕事である「悲惨な虐殺の現場」そしてひとりでもやもやとしている母親との関係が、ナイーブな物語をつくりだしている。
ちなみにナイーブは「童心的」「うぶ」「世間知らず」「お人よし」「無警戒」「ばか正直」を意味するフランス語。日本では「飾りけがなく素直な様」「純粋で傷つきやすい様」「単純」「やさしい」という意味で使われてるけど、それはどちらかというとsensitiveだから本当は意味がちがうよ
おそらくは、シェパード大尉の生きている世界の、答えのような世界が伊藤計劃氏のもうひとつの代表作である「ハーモニー」なんだろうなと思う。だから両方とも紹介しとく。
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