【アルカイック・ステイツ】のあらすじ
28世紀、太陽系をめぐって3つの権勢がせめぎあう。
太陽系を版図とするジェネラル・アグノーシア、宇宙航行種族による権威評議会、アルカイック・ステイツのパワーバランスは、しかし一人のテロリストによって崩壊し、生きていくための再構成がはじまる。
アルカイック・ステイツとはなにか。
わけわからないところがおもしろい。
女帝は強く賢くいてほしい
遺伝子工学と教育が生みだした、太陽系を統べる女王アグノーシアが主人公。
この本のなかのアグノーシアはとても賢い人。
だけど、「アグノーシア」ってことばを調べようとすると
- 「無知」という意味があるらしいと解説するグノーシス主義の記事
- 「失認」という症状を表す言葉だと説明してる作業療法士実習生のブログ
- EDENっていうマンガの中で「無智」という意味に使われている
まあ、真逆のイメージの説明が出てくる。
女王にはじつは姉がいて、名前が「アヴァター」っていうんだ。
女王は太陽系のジェネラル(太陽系の総司令官)でもあるんだけど、アヴァターは姉なのにジェネラルにはなれなかったのね。
作家の言葉の選びかた・使いかたには意味があるけど、ホント、いろいろ妄想がわく。
アヴァターなんて、2009年の映画を見るまえはよく知らなかった言葉だよ。
なのに著者は1994年に書き始めた作品で、象徴的な使いかたをしてる。
ジェネラル・アグノーシアは強く賢く前向きで、政治的な才能にあふれている。
けど姉はそうではなかったらしく、気ままにウップンばらしをするように言葉を射る人なの。
でも裁判で会ったジェネラル・アグノーシアは、好き放題にしゃべりたおす姉に心のどこかでうらやましさを感じるのよ。
うらやましいってさ、自分にこんな要素があったらいいなおもしろいだろうな、って思うことじゃないかな。
だからジェネラル・アグノーシアにとって姉は、現実的ではないけどごく部分的に分身の位置に立つキャラなのかもしれない。
………という風に妄想したりするんだなー
でも、3つの勢力が覇権を争っているときに太陽系のジェネラルをやっていただくのなら、やっぱりアグノーシアのような、強く賢く優しく明るい人がいい。
人の上に立つ人物には、それなりの資質が求められるんだよ。
なんでも好きにできる「権力」だけを求められても、ねぇ?
特権は使いかたを誤ると悲劇
さて、この話には、わかるようでわからない「アルカイック・ステイツ」が大きな役割を果たしている。
タイトルになっているくらいだからね
アルカイック・ステイツとはなにか。
文庫本の裏表紙には「古代銀河帝国のリアルな蜃気楼」って説明されているけど………「リアルな蜃気楼」っていうだけでもう、SFチックだなー。
だって蜃気楼って「密度の異なる大気の中で光が屈折し、地上や水上の物体が浮き上がって見えたり、逆さまに見えたりする現象」のことをいうのよ。リアル、じゃないのよ。
それなのに、この話のなかではリアルに人と話したりモノを受け取れたりする世界なの。
しかも誰でもできるわけじゃなくて、ステイツ側に受け入れられる人とそうでない人がいる。
だから、ステイツの力を利用できる、っていうのも一種の特権になる。
ステイツが味方についている、と豪語してジェネラルに対抗していたアヴァターとその連れあいは、いろいろと好き勝手やったあげく、次にジェネラルに会うときは身の丈10センチにも満たない小さな姿に変えられていた。
だからさ、わけがわからないのに力が使えるからって好き勝手やっちゃいけない。
わけがわからないから、自分たちじゃ元どおりにはできないじゃないの。
もしかしたら一生、元どおりになれないかもしれないよ?
チカラを使いこなすって、しっかりした思考がないと危なくてしょうがない。
みんな、気をつけようね。
特権は、やたらと欲しがるモノじゃないわ。
面白いのは、生きたまま分解される設定
この話は「アヴァターが破壊された」ことから始まっていくんだけど。
アヴァターは死んでないの。
破壊されたけど、生きてるの。
細胞レベルにまで微塵にされたけど、血は一滴も流れてない。
そんな!?
………って思うでしょ?
しかもアヴァターを破壊した者は、アヴァターを、というかアヴァターのかけらを袋詰めにして持ち去るのね。
いやあ、けっさくなアイデアだわ。
何しろ、死んでない。ってことは復元できる想定だよね?
いやあ、おもしろい。
で、思い出したのが、「微睡みのセフィロト」っていう話。
たしかあれにも、生きたまま人間が混断(シュレッディング)されるという設定があった。
人体を空間ごと超次元的手段できざんで300億の立方体に切り分けたという設定。
具体的な映像は浮かばないけれど、相手を殺さず人質にとる手段として、こんなことを考えるんだ、とおもしろく思った。
このアイデアのいいところは、スプラッタではないところ。
ホラー映画のように血がしたたる生々しさが感じられないところ。
だってさとうは、ホラーが苦手なんだもん
さとうがこの本を読んだ理由
1981年に「アルタード・ステーツ」という映画が公開されて、それを見たさとうはぶっ飛んだ。
で、タイトルがね、似てたんだよ。アルカイック・ステイツ、だもの。
話がどうちがうのか、興味があって読んでみた。
なんて単純なんだろ、と思うでしょ?
単純なんだよ、さとうは
この本の解説には、この話は歴史と革命とについての小説である、と書いてある。
この本が刊行された当時とつきあわせてみれば、そういう解釈が妥当だったのかもしれない。
でも。
いま読むなら、もっと気軽にストーリーを楽しんでもいい。
さとうはこの話にそれほど革命などの重みを感じずに読んだ。
それは、さとう自身が日本の金融市場におけるバブル期やバブル崩壊にあまり巻き込まれなかったというラッキーのおかげ。
おいしい思いをしなかった代わりに、被害も受けなかった。
だからわりと、フラットな気持ちでストーリーを楽しめた。
20世紀に書かれた話なのにジェネラルは女性で妊娠し出産をむかえるなかで世界のためにはたらいている。
スピード感やディテールは今風ではないかもしれないけれど、とくに女子には読んでほしい。
実際に妊娠するとか出産するとかは別として、女子にはそういうことを自分で決められる特権があるんだな、と読み終わったあとで納得するのよ。
自分の頭でよく考えれば、特権は自分のそばにも存在するのかも。
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