21世紀になってもう20年以上過ぎた。元号でいえば令和だ。
いつまでも昭和の価値観を引きずっているのは、ホントにダサい。
この本をどう読むかで、自分がダサいかわかる。
【両性具有迷宮】のあらすじ
この話は男性作家の西澤保彦氏が書いているにもかかわらず、実在する「森奈津子」氏が赤裸々に物語をかたっていくスタイルで話が進む。
森奈津子が友人と集まったときに「それがですね、わたし、いま、たまたま生えているものですから」と語った。
ある晩、都内のコンビニに居合わせた女性全員が、爆発のような衝撃とともになにやら光線を浴びた。で、どうなったかというと……みんなにペニスが生えていた!……ということらしい。
しかもそうなった女性が次々に殺される事件が起こる。
被害を受けている(らしい)森奈津子は事件の解明にのりだした。
しかし事件はかんたんには解決しない。手がかりを求めて動き回るうちに、セクシュアリティやらジェンダーやらの人間関係とおたのしみに巻きこまれ、奈津子は運命に翻弄される。
だが、殺人事件の結末は、もっと深いところにある大事な問題にひそかに気づかせるのであった………
性について考えることは人生について考えること
最近、不愉快に感じる新聞広告がある。
それは、高齢男性が「朝から元気!」「いつまでも現役!」「年下の彼女を喜ばせられる!」と語ってるかのように写真を載せる男性向けのサプリの広告。
セックスは人生のお楽しみだ。
相手のことを十分にいとおしんで良いコミュニケーションをとった上でのセックスなら問題ないし、むしろオススメするところである。
しかし。
その広告は、男性器の勃起こそ男の象徴、みたいな印象を与えてくるので不愉快。
男性器を勃起させて女性のからだに突っ込んでグイグイやれば、女性は大喜び、みたいな印象を持たせるところが不愉快。
このサプリの広告を考えた人間は(そしてお金欲しさに内容を検討もしないまま広告として掲載している新聞社も)いったいセックスをなんだと思っているのだろう?
少なくとも「学校教育に新聞を活かそう」としているのなら、子どもたちが読む機会のある紙面上にこんな広告を載せてはいけない。
セックスは、一方的に快楽を求めるだけの身体動作ではない。
複数の人間が心とからだの気持ちよさを追い求める共同作業だ。
いいですか?
複数の人間の共同作業なんだよ。
つまり、コミュニケーションなわけだよ。
それもいろいろな要素を考える複雑なコミュニケーションなんだ。
自分の快楽のことしか考えていない人間はコミュニケーションが下手な人。
言い換えるなら共同作業という意識がもてないままセックスしているということだ。
それってさ、セックスの相手としてはサイテーだよ。
女性は、自分を大切に扱ってもらい、おたがいが心地よくなる言葉がけ・動作がなされれば、セックスで喜びを得られる。
単純に男性器が大きければ、あるいは動作が激しければいいって問題じゃない。
激しい動きはむしろ痛みをともなうのでNGだな
乱暴なやり方が「慣れれば気持ち良く感じるはず」なんて、バカの考えること。
自分がされたくないことを他人にする人間は、必ずしっぺ返しをくらうからね。
日本は性教育がただいま発展途上中の国なんだ。
でも、性についてまじめに考えることは人生をまじめに考えることと同じ。
それくらい、個人にとっても社会にとっても大事なことだから。
エロスは、楽しくうっとり向き合いたい
今回のは、SF的ミステリー・エロティック風味、といった感じの話になる。
だからところどころ、エロティックな話が続く。
そういう話が苦手な人は読まない方がいい。
わりと具体的で生々しい表現のエロティックな話がけっこうな回数出てくるので。
さとうはエッチな話が人並みには好きなので読んだよねぇ
登場する人物たちは、自分の性的嗜好について決まりきったかたくなな考え方にとらわれず、自由に楽しんでいる部分がかなりある。
男性作家が女性を主人公として話を進めていくスタイルの小説。
内容が内容なだけに、性に対する己の思想を実験的に公開したつもりなのか、単なる新手のエロ小説なのか、読む人によって評価が分かれる。
この本のエロティックな部分を読んで、なるほど自由に考えていいんだねとか、ふわわ〜っとうっとりするわとか、どうぞお好きに感じて楽しんでね。
セックスは共同作業なので、おたがいに信頼関係があればいろんな形でセクシャルな遊びを楽しめる。
突っ込む方だけが「楽しい」のとは違うから。
あらすじでも書いたが、女性にペニスが生えてくる話なので、女性同士のセクシャルな話が多い。
21世紀、力による男らしさは不要、男根主義は不要
このエロティック風味のミステリーにはもちろん、オチがついている。
力で誰かを支配しようとするヤツがしっぺ返しをくらう、という感じになるんだ。
男根主義、ってわかるかな?
あの、なんでもググれるウィキペディアにも「男根主義」についての説明はない。
「そんなの、あたりまえすぎて説明なんかしなくてもいんじゃね?」ってことかね?
まあ、今どきは「男性優位主義」とかって言うみたい。
男根主義というのは「マッチョイズム。身体のたくましさや力強さ、性格や言動の勇ましさといった『男らしさ』を美徳として重んじる主義」とYahoo知恵袋で回答してくださっている方がいる。
ググるとね、「マッチョ」「マチズモ」「ファロクラシー」など、よく似た意味の、見たことないような言葉が出てくるよ。
「マッチョ」はウィキペディアにあった。
身体のたくましさや力強さで生き残りを図らざるを得なかった時代には、それは美徳にもなり得た。
でも今は、テクノロジーで身体的ハンデをくつがえせる時代だ。
医学の発達で精神的ハンデを乗り越えられる時代だ。
いわゆる便宜的な「男らしさ」は美徳ではない。
男根主義というのは単にセクシャルなことだけを意味するものではない。
家父長制 女性差別 ステレオタイプ 性差別意識 性支配 性の政治 性の二重基準 男性 男性文化 男尊女卑 二分法 ホモソーシャル………
社会のあり方を考えるときに出てくる言葉に、強烈にひもづいている。
そしていまだに日本の社会にはびこっている。
日本はジェンダーギャップ指数の最新(2023)の調査で世界156カ国の125位でした。
ダッサ。カッコ悪。
「先進国です」ってとてもじゃないが言えない。
さとうがいつも思うのは、今の社会の原型を作り出しここまで「組織の長」として運営してきたのは男性だろ?ってこと。
個人差を大事にしないで「男女」というあまり意味のないカテゴライズに乗っかってここまで生きてきて、生き苦しいとか言われても、ねー?
女性はずーっと苦しい生き方を強いられてきたんだよ、としか答えられない。
もし男性がほんとうに楽で自由な人生を生きたいなら、男が上で女は下みたいな考えかたの枠をこわせばいい
「効率よく働ける男性」を基準に考える枠組みをなくして、
- 男女差ではなく個人差で
- ハンデがあっても能力を発揮できる形で
働けるようにすれば楽に生きていく方法が見つかるのに。
なんでも力づくで一律なやり方で解決しようとする生き方は、歳をとっていくと無理ゲーになる。
力とか前例とか性別とか年齢とか、今まで使ってきた言いわけや枠組みはこれからは意味がなくなる。
日本は世界の流れに乗り遅れている。
けれど必ず、世界の流れに乗せられる。
勉強して、早くかたよりのない枠組みや考え方を取り入れた方が勝ちだよね。
さとうがこの本を読んだ理由
別記事で「スカーレット・ウィザード」を紹介した。
そのときに、あまりに昔の作品かなぁ、いまの皆様はどんなふうに読んでいるのかなぁとちょっとだけレビューをググってみた。
そうしたら、センス・オブ・ジェンダー賞というものがあって、ジェンダーをテーマとして探究する作品を紹介していることがわかった。
これよ、これっ!
さとうがとくに読んでみたいテーマの本がここに紹介されている!
………って喜んだの。
ちなみに、「スカーレット・ウィザード」は第1回Sense of Gender賞 大賞受賞作品だった。
そういうわけで、2002年度 第2回Sense of Gender賞 特別賞受賞作「両性具有迷宮」を紹介してみた。
これからは手に入れられるだけ、なるべく古い本から手に入れて読んでいこう。
古い本は、いまの時代でも手に入れられないことや読めないことがまあまああるので、ちょっと大変だが。
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