DUNEは面白い
ついに新しい映画ができたのかっ、とうれしくなる。
それは、DUNE。
いま、新しい本が世に出まわっているが、さとうが持っている本は、なんと懐かしい石ノ森章太郎さんの表紙。
もう誰も知らないよね………
………と思っていたら、わかりやすくDUNEの解説をしてくれているYouTubeがあった!
うれしいっ!
だからもう、さとうが下手な説明をする必要はない。
そしてこの中で、添野知生さんが石ノ森バージョンの本の表紙をチラ見せしてくれてた!
ありがたや〜。
面白さを伝えるには熟慮が必要
昔の映画も観てる
実はさとうも、1984年のディビット・リンチ監督のDUNEを観ている。

さすが年寄りやな
YouTubeの中で松崎さんもおっしゃってたが、あの映画、なんかダダダーッと駆け足の説明的な流れだったなーと当時のさとうも思った。
でもまあ、映像になったDUNEを観たかったので観た。
さとうとしては、これが限界なの?って考えたね。
だってDUNEって、話が長いんだもの。
熟慮を説明するために、余談の「ブラックジャック」
ちょっと余談。
映像作品についてコメントする方々にはいろいろなご意見がある。
さとうはマンガが好き。
テレビでは大好きな「ブラックジャック」を映像化(しかも実写)してた。
だから観た。
いろんな役者を主人公にして、何作か作られている。
それでね、原作を映像化するときに、原作に忠実に作ればいいってものではないという意見があった。
誰が言ってたのかもう覚えてない。
が、どういうこと?って思った。
それはつまり。
その作品の核となるコンセプトを十分に理解していれば、多少のアレンジがあってもファンに受け入れてもらえる作品になる、ってことだそうだ。
「ブラックジャック」の場合、主人公の信念が表現できていれば、原作とくらべると違う部分があるにもかかわらず、違うことが気にならない作品になるというわけ。



ブラックジャックの実写作品をいくつか観たから、これは言える
要するに、作品や主人公、原作に対する「愛」があるかどうかだね、「愛」があるかどうか。
「愛」が深いと良い作品になる。
熟慮を説明する、本題の「DUNE」
本題に戻る。
ディビット・リンチ監督のDUNEはあまり良い評価をもらえなかった。
原作をそのまま伝えようとするあまり、設定とストーリーの流れを説明することに映画のほとんどを使ってしまっていたからだ。
だってDUNEって、話が長くて独特だったんだもの。
YouTubeで解説なさるおふたりもそんな感じのことをおっしゃっている。
原作および原作者がなにを言いたかったのかをよくよく考えて掴んでいれば、映像化のときに何を優先するかが違ってくる。
映像化で、何を伝えたいのか。
そここそが、映画を面白くしていけるのかどうかの、最初の分かれ道。
どうしてもこの作品を映像化したい、と考えたなら、その作品のどこをどんなふうに伝えたいのか、深い愛とともに考えないとね。
「ウケるんじゃね?」「儲かるんじゃね?」っていうことばかり先にくると、ウケないよね〜。
むしろファンに叩きのめされるよね〜。
原作と映像化された作品とのあいだには、いつもさまざまな意見が割り込む。
SFの場合、割り込む意見の種類が(おそらく量も)ハンパなく多い。
だから下手に「全部フィクションだからなんとかなるよ〜」で映像化してはいけない。
観るのは人間だから。
人間の鑑賞と批判に耐えられる作品に仕上げないと。
なにより映画をつくるのは人間なので、「どうしてもこのテーマでこの映画を作りたかったんだよ!」というパッションを感じたいし伝えてほしい。
観るぞ、DUNE。楽しむぞ、DUNE。
ついでに本も宣伝するぞ。
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