若いうちは気がつかない。
人生もかなり後半になってくると、後悔することのひとつくらいはある。
自分ではつぐなえないことにたいして、あなたならどう対処するかな?
【輝くもの天より墜ち】のあらすじ
むかしむかし〈星ぼしの涙〉という酒を手に入れるために、人間(ヒューマン)はひとつの種族を絶滅寸前まで痛めつけた。
その歴史を深く反省した人間は、その種族・ダミアム人を保護する。
だからその星の上には保護施設と保護官のみが滞在していた。
その施設に観光客たちがやってきた。目的は、そこでしか目にできないノヴァ前線による果てしないオーロラのような光のショーだ。
だが、ダミアム人保護のために連邦が滞在者におこなう身分確認をすりぬけた、ふとどきな観光客もどきたちが醜悪な事件を起こし始める。
果たして、客たちの誰がふとどき者なのか。
そして保護官たちだけでこの事件を始末できるのか。
いつかツケを払う時が来る
世の中の年寄りはクチうるさい。
理由のひとつに「若気の至り」や「後悔先に立たず」による経験、からくるものがある。
いまは「しないで後悔よりしてみて後悔」といわれることが多く、後悔することになってもやってみた方がいいとススメられる。
でも、やっぱり、無分別な行動、軽率なふるまい、無茶な行動は、するまえによく考えたほうがいい。
あとからきちんとつぐなえるものなら、やってみてもいい。
被害が自分と自分の人生だけで留めておけるなら、やってみてもいい。
知らんふりしておいても誰も困らないなら、しばらくは知らんふりしてもいい。
でも。
人生のどこかで、思わぬ形で「無分別、軽率、無茶」の結果をつぐなったり賠償責任を果たしたり後悔したりするときが来る。
「いつの話のことだよ?」
「そんな前のこと言われても………」
「ええ?アレはお互い様じゃん?」
そんな言いわけが通用しないことが、ある。
相手がいることなのか、自分の人生のなかで始末をつけなきゃいけないことなのかはわからない。
でも。
むかしのことなのにツケを払わなきゃならないことは出てくる。
思いがけないところで、まあまあな確率で出てくる。
人生は甘くない。
死ぬまでのトータルで見ると、人生はちゃんといろんなものがつながったり、伏線を回収したりする。
ミステリとサスペンスとSF
この話は、アシモフ先生が「ミステリとサスペンスとSFを、ひとつの物語としてたくみに混合させ、そのおもしろさを最後までたもっている」と評した作品だ。
さすが先生、一文でレビューが終わるくらい的確に表現している。
これは、SFという舞台のうえで、ミステリというシナリオの芝居がすすみ、サスペンスな盛りあがりがドーンドーンとやってくる、という感じの話だ。
しかも終わりかたが、いわゆるハリウッド映画的予定調和、ではない。
それはどういうことかというと、幸せホルモンに包まれて安心して「ああ、よかった」というふうに読み終わる話ではない、ということなの
主人公は自分の人生にオチをつけられたので満足しているかもしれない。
でも、読んでいるほうはそうならない。
サスペンスの部分が一段落して、舞台上のミステリの謎解きはきちんと終わったのに、SF風味の人生譚がしずしずと残り火を演出する、という感じに終わっていく。
「譚」は音読みで「タン(ダン)」と読む。「譚」には「かたる」「ものがたり」といった意味があり、この場合は「人生物語」って感じの意味
この話は、結果としてはSFなの。
サスペンスを含むミステリは、オチがついたらとりあえずはおしまい、って区切りがつけられる。
けど、この話は区切りはまあつけられるって言うか、つけているって言うか、気持ち的にはつけられないって言うか、読者としては情緒的におわる感じ。
少なくとも、さとうはそうだった
小説ってさ、いろんな要素が入り混じってるよね。
だから一刀両断にはできない。
自分がされたくないことは他人にしてはいけない
過去の悲劇を内包したこの話は、おだやかな、ヒューマンたちの反省をふくんだ展開からはじまる。
だから、ああ、この特別な惑星での生態についての話が続くのかな、と思っちゃう。
でもやっぱり人間って、欲深いものなんだな、っていう展開になっていく。
話のキモはやっぱり人間(ヒューマン)のことなのさ。
そして冒頭にもどる。
「生きている限り、どこまでもついて来るものは、ある」
「いつかツケを払うときが来る」
結局、曲がりくねった経過をたどった挙げ句、オチは記事タイトルのようなところへ降りてゆく。
若いころや経験が浅いころは、今していることの結果が自分の人生の後半で不幸なカタチで降りかかってくる、なんて思いもしない。
誰だって、そうなのよ。
さとうだって、後悔したり謝りたいと思っていることはいっぱいあったわ
だからこそ、せめて、自分がされたくないことは他人にもしない、という最低限のルールを自分に課そうと考えている。
これは、自分に体力があり気力がみなぎっており、経済的にも追い詰められてないときには、気がつかない。
なにげなくやってしまっている行為が、相手にとっては嫌だなっていうものだとか、無意識に傷つけているよとか、気がつかない。
でもね。
自分が体力のない年齢になったり、アンラッキーなできごとが続いて落ち込んでいたり、経済的にめっちゃ苦しくなったり、そんなときに「何であんなことするんだよ………」ということをされたら、嫌だろ?
立ち直れないかもしれない。
とくにこの話は、そんな言葉でいえるような、ささいなことを語っているんじゃないの。
もっと超弩級のエピソードについて話しているの。
もう今さら、どうにもつぐなえないことだったりするの。
いずれなにかのカタチで自分にはね返ってくることを考えると、過去のあれこれが怖いよね。
謝れるうちに謝っておきたい。
さとうがこの本を読んだ理由
先に紹介した「たったひとつの冴えたやりかた」の最初のほうに、この話のことを知っているか?と図書館の主任司書が学生に問う場面があった。
え?どんな話なのよ?
………って思うじゃないの。
しかも〈殺された星〉についての話だっていうのよ。なんなの、殺された星って?
だから読むしかなかった。
いや、読んでみたかったんだ。
この話はわざわざやってくる客たちの経歴がさまざまでおもしろい。
どんなふうにも疑える。なんだかねえ?って感じだ。
まったく「SFという舞台のうえで、ミステリというシナリオの芝居がすすみ、サスペンスな盛りあがりがドーンドーンとやって来る」流れなんだね。
面白いことまちがいない!
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