時間SFだぜ
危機的状況の時、来るはずの助けが来なかったら人はどうやって生きていけばいいのだろう?
もうね、この話は面白いのよ、面白いんだけどだんだん息苦しくなってくるの。
でも大好きな時間SFだからきっと最後に救いがあると思って読んだわ。
卑弥呼と邪馬台国が舞台よ
裏表紙に短い紹介が書いてあるけど、そこにもう「邪馬台国」って書いてあるから、それほどネタバレじゃないよね。
とにかく、SFなのに3世紀が大事な場面になる話です。や、もうそれだけで「どんなん?どんなんなるん?」とワクワク。
でも、そもそもこの話は、太陽系を奪回するという未来からはじまる話だったことが2章目にあたる「Stage001 TritonA.D.2598」でわかる。
読んでいくとね、過去と未来がぐるぐる入れ替わる。
さとうは時間SFが好きだから少しは耐性があるけれど、時間が行ったり来たりする話が苦手な人は、少し準備が必要かもね。
パラレルワールド、っていう言葉は知ってるかな?
日本語で並行世界とか並行宇宙とか並行時空とか言われてる。ある世界から時空が分かれて、それに並行して存在する別の世界(時空)がある、っていうこと。
理屈はよくわからないけど、量子物理学という難しい学問の世界では「観察はできないが理論的には存在すると考えられる」と言われている。
異世界とか魔界とか四次元世界とか、それらはパラレルワールドとはちょっと違うらしい。パラレルワールドって私たちが今いる世界と同じ次元を持つもう一つ(か、二つか三つかはわからないけど)の世界なのね。
この話は、そんなパラレルワールドの未来からの助けが過去に干渉する話でもある。

干渉していいのかな?むかしのSFのセオリーでは干渉しちゃダメだったんだけどね
理想的な知性体が早くできてほしい、というのは危ないかも
この本は、設定として「未来には理想的な知性体やそれを尊重する統治機構がある」んだな。
なぜ(おそらく人工的な)知性体が理想的なのか。
話の中でどんどん時間を遡るんだけど、その中で闘いに勝つために人類の結束を目指して未来から来たオタスケマンが理非を説くんだけど、全然うまくいかないんだね。
人間には欲があり、表向き協力態勢を取っても、裏では対立が消せないからなんだ。
SFには、そういう面倒臭いものを廃した理想的なトップとしてしばしば人工知性が登場する。
感情的なものが入らないとか、公平に判断できるとか、積み重ねた膨大な知識から間違いのない選択ができるとか、まあそんなものを期待されるわけ。
でも人間が人間らしく生きていくのに、機械のように何もかもキッチリ区切れるはずがないよね。
自分たちの生活や社会を、誰かにすべてゆだねるっていうのは実は危険なこと。
だって、何かあっても言い訳できない。
言い訳しないってすごくいいことなんだけど、言い訳できないのはちょっと苦しい。
そしてまた、言い訳を考えるって、実は頭を使う行動のひとつだよね。
誰かにすべてをゆだねると、頭を使わなくなる可能性が増えてしまうんだ。
おかしい状況が続いても、頭を使わないくせが染みついていると「おかしい?」って思わなくなる。
それって、自分の身を守る・自分の権利を守る立場から考えると本当に危ない。
だから、自分たちのことは(知性体や未来人にアドバイスをもらえたとしても)ちゃんと自分たちで考えて行動しなくちゃならない。
実はこの話の結末も、自分たちのことは自分たちで頑張っていくぞ!と主人公が決意したところで見えてくる。



Oh Yeah! 前向きね
ちなみにさとうがこの本を買った理由
それはズバリ、時間SFが好きだから。
SFにいろいろなカテゴリーがあることは「SFを読んでみよう」という最初の記事で書いたとおり。
どのカテゴリーもさとうは好きだけど、時間を超えて、なんていう現実では絶対体験できない分野には、もうとびきりに惹かれちゃう。
しかも舞台が、3世紀だからね。そりゃあ、その先がどうなるんよ?って気になるわ。
時間SFは、同人的妄想に耽ることのできる最たるフィールド。だから大好きなの。
まとめ:本の紹介
人類の殲滅をねらう謎の戦闘機械群と時空を超えた絶望的な闘いを繰り返し、その最終防衛線が3世紀の邪馬台国だった。
卑弥呼を救った使いの王は、2300年後の世界から来た人型人工知性体。まるでスーパーマンのようで過去の人間の立場としてはとても頼りたくなる。
でも実は、彼らだって自分たちのために闘っていた。切ないエピソードがチラチラと、散りばめられている。
人型人工知性体が卑弥呼とともに主人公の位置にいるけど、実に人間くさい話だ。
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