【未踏の時代】日本SFの黎明期(夜明け)を語ってた

これは日本のSF界の黎明期を支えた多くの人々のなかでも、とりわけ頑迷にがむしゃらにはたらいた福島正実の回想録。

単行本は図書館に行っても閉架書庫に保管されている。古い本だ。

彼は、日本SFの黎明期(夜明け)をいち編集者の立場から語っていた。

目次

【未踏の時代】の内容

この本は小説ではなく、回想録だ。

著者が病没したのでSFマガジンに連載されていた分だけが、未完のまま発行された。

SFを文学のいち分野として正しく認識して楽しんでほしいという、いち編集者の願いが、混乱していた現実とともに記録されている。

もくじはなく、年代ごとに区切られた章があるだけだ。

SFマガジン創刊の苦労はSF認知の苦労

ふるいが、SFに興味をもち、いくつか小説を読んだならば、ぜひ目を通してほしい。

なぜって、SFについて万人が認める定義がいまだに確立されてないなと思えるから。

さとう

そうなのよ、全員がオッケーって言えるものはないのよねぇ

この回想録のなかで著者は

  • SFを語ることはアブノーマルなものへの関心を自白するようなものと思われる
  • 未来や空想は絵空事
  • SFは荒唐無稽なポンチ絵まがい
  • 科学的なSFだけを本格としてあがめまつり変型SFやSFまがいがはびこることをけしからぬときめつける

という、SFへの誤解や無理解、偏見とじつに精力的に戦っていくさまを告白している。

sf-gokai

いや、ほんと、なに言ってるかわかんない(しかもダチョウだし)

さとう

だから、誤解とか無理解とか偏見が多かったの

わかんないくらい、いろいろと間違った受け取りかたをされていた分野だった。

そしてたぶんいまも「SFなんて」と誤解や無理解、偏見が残っている。

なんでもそうだけど、新しい分野があらわれて勢いをつけていくとき、同じように誤解や無理解、偏見がつきまとう。

ゲームの世界もはじめは子どもの遊びと思われていた。ゲーム内容や技術的なものが進化して大人がハマるようになっても、ただの遊びだと思われていた。

でもいまは「e-sports」と呼ばれて、スポーツの一分野として高額な賞金のかかった大会が運営されてプロが活躍している。

仕事としても一人前に認知されてきたってことだ。

この本は、SFマガジンという雑誌の編集長となった著者がSFを誤解や偏見なく認知してほしいと考え、がむしゃらにはたらいたことの回想録だ。

回想録だから、著者の視点で書かれている。

悲しいことに、未完で終わっている。

理想のためには炎上もいとわず

著者の福島さんは、SFについて自分なりの理想をかかげていた。

「───私は、SFには、本質的なイミで本格とか変格とかいう区別などない、幻想文学から哲学までの広いスペースを領域とする、種々の自由なSFというものがあるだけだと思うからです」

「SFは本来的に、科学的であるよりも、ロマンチックで、空想的で、かつ思索的でなければならないのです」

「SFは本来、意識ある読書人すべてのためのものです」

「科学を認識の方法と意識した現代小説の一ジャンルです。要するに、その気のあるすべての読者に楽しんでもらえるはずの小説です」

なんとまあ、一貫してアツく自論を説明することか。

しかもすべての読者に楽しんでもらえるはず、と言っておきながら「SFは書く側、読む側両方の、非常に高いインテリジェンスと、異常に強い熱意とによって支えられている」とか「SFは読者に、思索的でイマジナティヴな精神的協同作業を要求する」とか、むつかしい話が出てくる。

エネルギッシュでバイタリティにあふれていて癖の強い人だった(らしい)福島さんは、いまでいう「炎上」もいとわず論戦を張っていた。

気になる意見が公表されると、新聞や雑誌の誌上で反論を繰り返していた。

その様子も本に載っている。

さとう

まあ、あの時代はSNSがなかったからね

めっちゃ硬い表現もたくさんあるけど、教養として知っておくにはいい本。

追記:読んでいる人はいる

ネットでよそさまのブログを見ていると、このふるい本を読んでいるかたはいらっしゃるんだなと気づく。

日本にSFを根付かせた編集者ー読書感想#13「未踏の時代」

読書熊さんという方がnoteで書かれていた。

さとう

さとうの記事よりもわかりやすく、インテリジェンスにあふれていた

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この記事を書いた人

昭和生まれ。なのでリアルな顔写真はご勘弁を。
オタクという言葉がなかったころからSFを読んでいます。
オタクのはしくれなので読んだ本を紹介します。

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