SF好きとか嫌いとか、のてまえ

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SFってなんだろう?

好きとか嫌いとかのまえに、やっぱり気になることがある。

つねに論争となる「SFとはなにか」

さとうは、そのことに不満があるわけではない。

広くネットで検索してみれば

サイエンス・フィクション(Science Fiction)の略。科学的な空想にもとづいたフィクションの総称。
(ピクシヴ百科事典より)

小説や映画などの創作作品におけるジャンルの一つである。
(ニコニコ大百科より)

と出ていた。

ジャンル分けとか、カテゴライズとか、定義とか、きちんとしてないと納得できないかたがたは大変だな。

だって、けっこう大雑把な説明に見えない?上記の引用。

さとう

なんでこの引用なのかというと、若い人に媚びたんだね(笑)

さとうはこどもの時に「さいえんす・ふぃくしょんって、かがくてきなおはなしのことだな」と受け入れてしまったので、それでずぅーっと来ている。

自分のなかで困ってないので、今もそのまま。

さとう

ま、いいか、って感じ

でも、ちまたで「SF好きです」「SFなんてどこがいいんだ?」「SFはヲタの世界」といろいろに語られていて、それもまた「SFとはなにか」にからまっている問題かなと考えている。

SFは「ジャンル」の問題?

「未踏の時代 」を紹介した記事では、「幻想文学から哲学までの広いスペースを領域とする、種々の自由なSFというものがある」と著者の福島さんのことばを紹介した。

SFの"S"はなんなのか、ということが議論されたこともある。

サイエンス(Science)ではなく、スペキュレイティヴ(Speculative 、思弁的)ではないのか、とかね。

有名どころでは藤子・F・不二雄さんの「すこしふしぎ(Sukoshi Fushigi)」という見解もある。

じゃあ、ジャンルってなんだろう?

いろんな辞書によると、ジャンルって言葉は元は文学や芸術の領域で使われていたことばだ。

フランス語のgenreはラテン語のgenus(種属)を語源とし,共通の性質をもつ一群のこと。
(百科事典マイペディアより引用)

そこから、芸術作品を様式や内容によって区分するために使われていたことばとなった。

現実で目に見えて違いのわかるものは迷わず分類できる。

形とか、数値とか、素材とか、目で見てわかるものはね。

けど、芸術のようないろんな要素を抱えて主観の入るものを説明するときには「この作品はこういうグループにいるからね?」と所属するグループの特徴をわかってもらう必要があった。

するとさ、「SFとはなにか」っていうのは「SFは作品としてどういうグループか?」ってことなのかな?

幻想文学から哲学までの広い領域には、なにが含まれているの?

それらを全部「SFです」ってひとくくりにしてもいいものなの?

どのくらいむかしの作品から「SF」のグループに入れたらいいの?

………っていう疑問が残る。

たとえば「文学」ってジャンルを定義しようとしたら、取扱説明書なんかは入らない。

でも、「読むもの」って定義をつくろうとしたら、行政サービスの解説書も入るよね?

さとうは子どものころ、意味がわからなくても文字が書いてあるとなんでも読んでいたらしい。

意味がわかってないんだから「読む」という行動ではないんじゃないかなと今なら思うけど、そこが子どもさ。

でもだからといって、さとうの読んでいたものが「子ども向け読みもの」に仕分けできるのかっていったら、そうではない。

さとう

ああ、メンドクセェ

だから読むものを発表するカタチ以外で分類するのは、かんたんじゃない。

SFは、細かく定義しようとしたらものすごく大変なことになる。

だから定義づけにこだわらない人の多くが「科学的な空想にもとづいたフィクションの総称」くらいでいいんじゃないの、とゆったりと考えてくれてるんだろうね。

ジャンルとしても、いろんな要素が広くつながっているから境界があいまいな感じになったまま、ひとつの世界になっている。

こだわる人はおおいにこだわって、他人が見ても「なるほど」と思うような客観的な言葉にしてSFの定義やジャンルの項目を考えてくれるといいね。

意見を公の場にぜひ発表してほしい。

みんなでワイワイ、話し合うのがいいと思うし。

ただ、それを他人に押し付けるようなことはしないでね。

さとう

「ゼッタイ」とか言われても困るし

人それぞれ、考え方も楽しみかたも自由だから。

SFはメディアによって違うの?

ところで、SFの、「アニメ」や「漫画」や「映画(実写映像など)」の世界でも、「SFとは?」みたいな議論は起きてるの?

さとうは映像の方はあまりくわしくないから、そういう議論にもくわしくない。

でも文字を読んでイメージをおこすのとはちがって、はじめから絵とか画像のかたちで入ってくると、あまりむつかしい感じがしない。

そして絵とか画像は、解釈はべつにして、誰が見ても見えている要素はおなじだよね。

そうすると「カッケーッ!」「意外にショボかったな」といった見えたものへの感想はいろいろあっても、「このアニメはSFなのか?」という小説でよくあるかたちの議論はすくない気がする。

アニメの中身についての好き嫌いや解釈などをふくめた議論はあっても、「そもそもこれはSFなの?」という、入り口で口論するようなことは少ないんじゃないのかな。

映画化されたSF作品には、多くの場合原作がある。

原作がなくても、ノベライズされることがある。

でも、映画自体が「これはSFなのか?」と問われることはあまりないよね?

まあ、宣伝にチカラを入れる立場からいえば、そんなことよりこの映画を見たい気持ちにさせることのほうが大切になる。

だから「SF」って宣伝よりか、「超大作・制作費◯◯億円!」とか「映画史上最高!」とかのキャッチコピーがつく。

SFファンの間でなら「あれはSFなのか?」と議論にもなるのだろうけど、映画を見る多くの人はそんなことどうでもいい。

おもしろければいいんだよ。

media

文字と絵(または画像)は、目にはいったときの最初の情報量がちがうから、頭のなかでそれを処理するしくみが(もしかしてスピードが?)全然ちがう。

だから「SFとは?」なんて考えるヒマもなく、圧倒的に絵がSF感をまとって脳みそを染めにくるのかもしれない。

メディアによって「SFとは何か?」を問われる位置がちがうって、おもしろくない?

たとえばミステリーや恋愛もので、小説と映画でそれぞれジャンルを問われたり、同じ作品なのにジャンル感がちがうなんてことはない気がする。

だってミステリー映画の原作は、やっぱりミステリーに違いないしね。

でもSFは「映画、スッゲェきれいだったわー」と思って原作読んでみると「なんかわかりにくいな。先に映画見ててよかった」みたいなこと、よくある。

逆にいえばSFファンからしたら「ナニあの映画、ぜんぜん原作の世界、あらわしてないし」ってなる。

科学者の、フィクションではない研究発表や、ワイドショーで取り上げられるおもしろ新発見なんかも、SFに近いのかわからない。

さとうはそれらを知って勝手に妄想するので、SFの一要素として考えてはいるけど。

たずさわっている方々からすれば「フィクションではないっ!」とお怒りになるかもしれないな。

でも、科学者の側はあんがい冷静で、SFのことなんかそんなに考えてないかも。

だって現実的には研究がいそがしいだろうから。

事実を追求するのに予断は取扱注意よね。

おかげでさとうはフィクションを楽しめてる。新しい発見がさらに空想をよぶもんね。

SF好きとか嫌いとかのてまえで、小さなまとめ

つねに論争になる「SFとはなにか」について、さとうは個人的には論争が続いていても全然かまわない。

だってふくまれる範囲が広すぎて、しかもどっちかというとSFは未来に顔が向いている。

世の中をつくっていく要素やまえに進む時間を考えると、まだまだ定義は定まらないだろうね。

大事なのはSFを生みだし楽しむ要素をもっている人間という種が、知的に楽しめるといいなってこと。

そうすれば好きと嫌いについて、冷静に話ができる。

何によらず好きと嫌いは必ずあるし、だからといって感情的に主張を通して楽しみを減らすのももったいない。

「好き」と「嫌い」については「SFを嫌いの一言でくくらないで欲しい」の記事で。

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この記事を書いた人

昭和生まれ。なのでリアルな顔写真はご勘弁を。
オタクという言葉がなかったころからSFを読んでいます。
オタクのはしくれなので読んだ本を紹介します。

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