【ツインスター・サイクロン・ランナウェイ 4】ヒトであることとは

ちまたでは「粘土嬢」とか「百合」で話題の作品だ。

でも広い「汎銀河往来圏」での話を理解するときに「そこだけピンポイントな読み方でいいの?」とふしぎに思う。

なぜってさ……

目次

【ツインスター・サイクロン・ランナウェイ 4】のあらすじ

自分たちはいわゆる「人間」じゃなかったということに気づいたテラさんとダイさん。

自分たちは何者でこれからどう生きていけばいいのかを悩んでいるのに、「人在」と「人非」をきびしく区別する防軍と協力して仕事をせざるをえない状況を迎えた。

それは昏魚(ベッシュ)と呼ばれるフラジャイリャンが大発生・大放散する事態。

この状況にだれが対処できるって、そりゃあ昏魚をエモノとして漁をしてきた漁師でしょ。

……ってなことで防軍に漁のしかたを教えているふたりは、防軍からそもそもの元凶であるエダとマギリを確保しろと要求される。

だが問題がてんこ盛りの状況のなか、テラさんダイさんカップルもエダ・マギリカップルも、子どもをつくる・つくれるかを模索してやれることは試そうかというハチャメチャな悩みと行動につきすすむ。

さあさあ故郷のメンツも巻きこんで、汎銀河往来圏としても大きな問題に決着はつくのか⁈

ヒトであるとはどういうことか

前作(ツインスター・サイクロン・ランナウェイ 3)の最後で、心と体が人間なのに材質がカルサンド(算土)で出来上がっていたことが発覚したテラさんとダイさん。

読んでいるほうもびっくりする展開だ。

だって材質がどうであっても、テラさんもダイさんも生理的な反応や情緒の動きなど人間となにも変わらない存在だったんだ。

精神脱圧(デコンプレッション)で粘土をいかようにも作り変えられるから、もうこれは柔軟性の高いサイボーグかアンドロイドと言ってもいい。

そうするとね、

さとう

そうそう、あの話よ

さとう

アナタハニンゲンデスカ?サイボーグデスカ?アンドロイドデスカ?

認知科学や人工知能の分野では、「人間が人工知能に質問などをして、その人工知能があたかも人のように反応し、人から見て人と何ら区別がつかなければ、それをもってしてその存在は知能あるいは意識を持っていると見なしていいのではないか」とアラン・チューリングが提案した。(Wikipediaより引用)

伊藤計劃氏の「ハーモニー」のときに説明した話とつながる。

「ハーモニー」についてはこちらの記事

……というわけでね、さとうの考えではもうテラさんとダイさんは、人間だ。

知能や意識はもちろんあるし、生理的なはたらきも人間とほとんど変わらなくある。

いわゆるニンゲンはタンパク質などで体がつくられているが、テラさんたちはカルサンドで体がつくられている。

違いはそれだけ。

さとう

もっと細かいことを言うなら、テラさんたちはデコンプという超能力みたいなものを持っているってだけ

読む人も「粘土嬢だ」「粘土嬢だ」と騒がなくてもいいし、本人たちも「組成がちょっと違うだけ」と思えばいい。

むしろ肝心な問題は、人権を保障してくれってこと。

知能や意識があるってことは、悩みが出てくることになる。

「君たちは組成が違うだけで人間だよ」と汎銀河往来圏が認めれば、テラさんたちの悩みは個人的な範囲におさめられる。

それを、まるですごい超能力(デコンプ)を持っているからニンゲンに脅威かも、みたいなことを考えて「人非」という扱いをするからイカンのよ。

さとう

まあフィクションなのでストーリー上しかたがないか

ニンゲンでないとわかったが、人として存在するとはどういうことか。

超能力を持っている相手を、ただ恐れるなんてしないほうがいいことはわかっているはず。

それはこちらの本「微笑みのセフィロト」で紹介。記事はこちら

さとう

読む側はせめて、そういうことが裏にはあるのかなぁくらいは考えてほしいな

4巻になってどえりゃー問題が表に出てきた。

ラブラブゆえの苦しみ

テラさんとダイさんはねぇ、もうラブラブなのはわかってるんだ。

けど今回、カルサンドで作られていたのかとか、テラさんはデコンプできるけど私はできないとダイさんが悩むとか、もんもんと考えていることをダイさんにストレートに聞いてもいいものかとテラさんが悩むとか……

相手のことを愛しているがゆえにうまく処理できない悩みが問題としてこびりついてくる。

恋愛ってさ、悩みのかたまりだよね。

ものすごくささいなことから人生を左右するようなことまで、順調につきあっていても悩みはなくならない。

もうねぇ、ふたりのイチャイチャとうしろに隠している悩みとがわかりすぎるくらいわかっちゃうから、やっぱりこの話から目が離せない。

百合だとかなんとか、そんな枠はどうでもいい。

そもそも恋愛感情なんて人間には普遍的なもの。

登場人物・主人公がたまたま女性ふたりだったってだけ。

そしてそれはどんな組み合わせのふたりであっても、実はあたりまえのデキゴトなんだ。

恋愛はどんどんするべきよ。

そしてどんどん悩むべきなのよ。

そういう体験が人間の中身をつくり、思いやりの心を育てる。

さとうがこの本を読んだ理由

3巻で衝撃の事実が発覚したからには、続編を読まずにいられない。

ここまでシリーズを読んだきたもの〜。

これからだって読むわ〜。

「アステリズムに花束を」の記事はこちら

「ツインスター・サイクロン・ランナウェイ」の記事はこちら

「ツインスター・サイクロン・ランナウェイ2」の記事はこちら

「ツインスター・サイクロン・ランナウェイ3」の記事はこちら

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この記事を書いた人

昭和生まれ。なのでリアルな顔写真はご勘弁を。
オタクという言葉がなかったころからSFを読んでいます。
オタクのはしくれなので読んだ本を紹介します。

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