エンパシーを育てる努力をしたい

「冷たい方程式」について語りながら

なぜならこの話を読みたくてこのアンソロジーを買ったのだと思うから。いつの間にか新版が出ていて「あっ、早く買いに行かなくちゃ、読まなくちゃ」になってたけど、旧版でもこの話は表題作で、つまりそれだけオススメなんだと思ってる。

宇宙旅行ももうすぐできそうなところまで近づいてきている今、ちょっと考えたい作品かな。

エンパシーって、何よ〜?

皆さんは、大好きな作品を鑑賞した時に「そうそう、ここよねぇ」とか「そうなんだよ、これなんだよなぁ」と共感すること、ない?あるよね?

さとう
私はあるねぇ、よくある

でも、そういうのってたいてい、情緒的にうなづけるってことが多い。

「理屈ではAは正論だけどさぁ、人としてはBだよねぇ?」「そうそう、そうだよね。わかるぅ〜」「うん、そう思った〜」みたいな。

 

共感、って日本語で書くと単語としては一つしかないんだけど、英語にすると二つあるんだね。

シンパシーとエンパシー。

どっちも訳すと「共感」とか「感情移入」と出てくる。

でも、本当は二つあるくらいなので、区別があるのよ。

 

シンパシーは、他人と感情を共有すること。だから一緒になって泣いたり喜んだりする。

エンパシーは、他人と自分を同一視することなく、他人の心情をくむこと。だからそのことに喜んだり苦しんだりはするけど、はしゃいだり泣いたりはしない。

 

どっちも大事なんだよね。

だって、悲しいことがあった時、一緒に泣いてくれる友達がいたら、感情を吐き出しやすいじゃない?

いわゆる「カタルシスを得る」ってやつ。

さとう
カタルシスってさ、モヤモヤが解消されてスッキリすることなの。精神の浄化っていうもの

 

でも、気持ちを理解してくれて、その上で「じゃあどうしていったらいいかな?」を一緒に考えてくれる友達も必要じゃん?

気持ちをしっかりわかってくれる人になら、相談もできるし。

 

「冷たい方程式」はね、エンパシーの話だと思うの。

だって、話を読んでいて、状況がわかったら、そりゃあ密航しようとした人間の方が悪いわ、としかならない。

物理の法則にいいも悪いもないのだから、そういうものを利用する方が気をつけないといけないのよ。

 

でもさ、それはわかっているけど、この状況はつらい。密航者の気持ちを理解できるから。

それがこの話の、ちょっと意見の分かれるところ、らしいのよ。

 

きれいごとを言うようだけど、少しでも公平でありたい

密航者は、逃れようのない罰を受けなければならない。見つけたら(見つかったら)できれば1分以内に。それくらい早く、確実に。

それは物理の法則と、宇宙の辺境に進出した人間に起こる緊急事態への対応規則とで、決まっている。

絶対的な掟として。

 

でもさ、密航者を見たパイロットは強烈な衝撃に襲われるのよ。

密航者が訳ありの男ではなく、ハタチにもならない娘だったから。

─────っていうところが、どうもレヴューで意見の分かれる点らしい。

 

つまりさ、作中にもパイロットの考えとして書かれてしまっているんだけど、もし男であったら1分以内にするべきことを終えていたのに、女の子だったからパイロットは困っているわけだよね?っていうところさね。

確かにね。今、こんな話を書いたら、作家はけっこうなつるし上げを食らうと思うよ。仕事の内容だとか規則の適用だとか、差別があってはならない状況で差別的なことを書いてる!って言われそうだもの。

世の中には様々な差別があって、日々、それは話題になり、論争が始まる。

差別はできる限りなくしたい、とさとうも思ってる。

 

でもねぇ、この話が書かれたのは1954年です。

SF作家は確かに、未来のことについて可能な限りの想像力を駆使して話を考えるのだけれど、万能ではない。

1954年に、ありとあらゆる場面で性差なしの生活は、特に男性作家にはなかなか考え付かなかったと思う。

これが女性作家だったなら、自分も差別されてる側だと考える機会があっただろうから、少し違った書き方をしたことでしょう。

 

そしておそらく「男だったらためらわずに罰を与えていただろうに、若い娘だったから悩んでる、なんてありえねぇじゃん」と憤っておられる方々の多くは男性ではないかと推察してます。

これも確かに、ひどい侮辱だよね。

「若くなく」「可愛らしい女性でもなく」という条件だけで人間としての価値が低く見られるなんて、いっちょまえの男性たちには許し難いことでしょう。

 

でもさ、この話を書いたのも男性、とんちんかんなことで悩んでいる主人公も男性、「ありえない」と憤ってらっしゃる読者の多くも男性、ってね。

この話は、そういう点に注目して欲しくて書いた作品ではないだろうなと思うんだね。

将来、宇宙旅行が可能になり、想定外のことが起こった時、腹をくくらなきゃならないとしたら、自分ならどう考えるかな、どう感じるかな、理屈と感情の間でちゃんと判断できるかな、を考えてみてねーって感じにさとうは捉えました。

パイロットが女性だったとしても、一瞬、悩むでしょう。

密航者が自分に害をなそうとしない限り、ハゲでデブのおっさんでも、やっぱり一瞬、悩むでしょう。

規則で決まっているとしても、訓練を受けているとしても、やはり一瞬は悩むでしょう。

むしろ悩まなかったら、人として何かがかけているか足りないかだなと、さとうなら思います。

理屈と感情の間で、相手の心情を汲みつつ「せねばならない」仕事をやれるか。

 

さとうは、この話が書かれた時代と背景を考えつつ、究極の二択にすらなり得ないシチュエーションに陥った時、自分はどう考えるんだろうな、と思いながらこの話を読んで欲しいなと思います。

それこそ、ありとあらゆることを踏まえつつ意見するというのは無理なことでキレイごとになるとは思う。

でもね、できる限りは公平な立場でモノを言いたいなと思いません?

自分にできる範囲でいいから。ちょっとでいいから。

だって世の中のすべてのことを知ってるわけでもなく、偏りが出るのはしかたのないことで、それを人は個性と呼ぶんですが。

だからと言って、一方的すぎる意見を主張するのも程度によるさ〜と考えるからね。

 

SFにも限界はある

今の時代に読んだら、この話には他にも稚拙なひっかかりはあるんです。

緊急用の無人機みたいな小型艇はなかったんかとか、重さで密航者が発覚するなら発射する前にわからんのかとか、「パイロットなら一生に一度くらいは遭遇する」ような事件なら事前に何か防ぐ手立てを考えろよとか、いろいろね。

SFには、鮮度というものが大きな比重を占める話もある。

その時代の考え方、社会の仕組み、科学知識のレヴェル、1回しか使えないアイデア、それこそ作家の個性に左右される問題もある。

そういうものを重視して読む読者もいれば、そういうものの存在を認めつつ「いや、この話はさ、」とさとうみたいに余計な話にまで及ぶ者もいます。

 

新しい、未来の、今までとはまったく違う世界を描きたいと思って書かれるSFにも、時代が流れて進んで行くことによる古臭さを背負ってしまうパラドックスは宿命のように付きまといます。

古い作品、それが特に新しさを売りにするSFという分野には、厳しい風当たりとなるんだな。

しょうがないことだと思います。悲しいけど。

 

まとめ:本の紹介

最初の書いたように、この話の入ったアンソロジーは、すでに新版となってます。

7つ入っていた話のうち2つだけ残り、あと7つほど新しい話が追加されて文庫になってます。

ほかの話はまたいつか記事にしたいですが、とにかくさとうは新版を早く読まねばと焦っております。

とりあえず、新版も紹介しとくね。

シェアしてくださってもいいですよ♡B!
 

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