かたづけると出てくる使わないモノ、それはキモノ
SF本の古いものを紹介しているということは、SFにかぎらず古い本がまあまあ家にあるということ。
もうそれは捨てられないのでテキトーにかたづけて、どうにかこうにかやりくりするだけ。
で、今回驚いたのは、キモノのかたづけ。
さとうは昭和の生まれなので、その母も昭和の生まれ。しかも年季の入った昭和育ちなので、昭和の常識にどっぷりと浸かり、それを疑わずに生きてきた。
だからさとうが運よく結婚できるとなったとき、嫁入り道具のひとつとして何枚かキモノを持たせてくれた。
でも夫はまあまあ近場ながら2〜3年おきに転勤する仕事だったので、キモノの保管は実家だった。
さとうもキモノにはまったくくわしくなかったので、助かった。
転勤することがなくなったころ、自宅に持っていけと言われてさとうのために保管してくれていたキモノを引き取った。
さらに時間が経ち、自分も歳をとって動けなくなるまえに、プチ断捨離をしておいた方がいいと考えた。
家が狭いのでモノにつまづく生活は避けないとさ
処分に困ったのは、やはりキモノ。
母が苦しかった家計をやりくりして整えてくれたモノだから。あっさりポイって捨てられない。
でも、一回も着たことがなく、着付けも知らないので今後も自分で着ることはなく、着る必要があればレンタルに頼るだろうことがわかっているさとうとしては、このままタンスの中でシミだらけにしておくのも忍びなかった。
だから今はやりの「着物の出張買取」を利用してみた。
ただ捨てるよりは、心が痛まないだろうと思ったの
どんなモノにでもある中古品買い取りの、キモは”需要”
やっぱり中古品の(さとうのキモノはほとんど未使用でしたが)引き取りは、その後に買い手の需要があるかないかで査定額が決まる、らしい。
さとうが利用したのは「バイセル」という会社。だってチラシに「査定評価額より20%UPキャンペーン」って書いてあったから。
査定に来てくれたのは、若い男の方。関東の会社に所属だそうだが、エリアを区切って担当し、今はさとうの住んでいるあたりをずーっと回ってキモノの査定ばかりものすごくたくさん担当しているとのこと。
キモノのどこを見てどういうところが買取につながるのかを説明しながらサクサクと判断をし、スマホで写メを撮っていくらぐらいで買取できるのか否かを本社?か倉庫?のキモノを担当する人に確認していた。
仕事は確かに早くて親切だった。
たとえば一例だが、買うとなったら何十万円もする大島紬も、分類上は「普段着の着物」扱いなので、中古品として引き取ることになると何十円になってしまうらしい。
キモノにも流行りの色・柄があるので、あまり古くさいものは引き取れないらしい。
レンタルなどに回して使ってもらえそうなキモノでないと、値段さえもつかない。
そんなに数はなかったけど、何枚かは引き取ってもらえた。でも、キャンペーン中だという割にはやっぱり安くて、大まけにまけていただいて1800円くらい。
買取してもらえるのは、
1:絹の着物で
2:作家の名前や作った工房のハンコなどがついていると値段が上がり
3:無銘でも色や柄が今の時代に合うようなモダンなもの
4:振袖などはレンタルで使えるのでOK
という感じの説明だった。
ただ捨てるより、一枚でも使ってもらえるところに連れて行ってもらえればなと思っていたので、そこで手を打った。
何につけ、ブランド名がものを言う
テレビのCMや街中のリサイクル店の表示を見ると、やはりブランド名のあるものばかりだ。
いわゆる「ハイ・ブランド」と呼ばれるものは、どんなに状態が悪くても、引き取り拒否にはならない。
まさか、キモノもそうだったとはね。
大島紬も、作家やブランドにこだわらず「中古でもモノの状態が良ければOK」という人は、フリマアプリでさがすとお安く手に入る、とアドバイスされた。
でも買わないけどね
さんざん本やCDや食器なんかを処分して、まあこんなもんだよねとわかっていたはずなのに、キモノの価値もそこなのかとあらためて知らされた感じで、へこんだなー。
本当に欲しいものを買い、大切に使おう
そして思い知ったのは、やたらと「便利かも」「うわ、安ーい」といってモノは買わないようにしよう、ということだ。
たしかに中古品引き取りやフリマアプリでの売却など、処分する方法はいくらでもある。
けど、転売ヤーでないかぎり、買った値段以上の売値がつくことはない。
やたらと買うより、買わない選択の方がお金はへらない。そういうあたりまえな結論に達した。
だから欲しいものができたら、よく検討して、少々高くても一生手入れをする気持ちが持てるものを買うように気をつけよう。
モノを買うってさ、とくに欲しいモノを買うってさ、ものすごく快感なんだよね。
だからすぐに欲望に負けちゃう。
買い物依存症、って、ある意味、気持ちはわかる
でも気持ちが満たされるかっていうと、一時的にはモノでうれしくなるけど、長い目で人生を考えるとモノじゃどうにもならないことが多い。
むしろ、不要となった中古品をながめて、自分は何にとらわれていたのかな?本当は何が欲しかったのかな?って考える時間のほうが、自分を満たしてくれるものを探すのにはいいのかもしれない。
満足、って、満たして足る、って書くのよね。
すごいな。
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