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開店休業のツイッター
「長いプロフィール」でも話してるけど、ツイッターを恐る恐るやってる。
さとうの若いころは、スマホどころかパソコンもない時代で、さわれるコンピュータがあってもさわってるのは電気オタク(というか電気マニア)ばかりだった。
何しろそんなものにさわって動かせるだけでクラブ活動が成り立っちゃってたくらいだもんね。
だからさとうは、今の若い子たちとはツイッターの捉え方が違う。
アカウントは持ってるけど、やたらとつぶやけなくて、開店休業状態なのよ。
ツイッターはツールです
このところ(と言ってももうずいぶんと前からだけど)SNSの功罪の〈罪〉の部分がメディアでクローズアップされている。
事件がたくさんあったからね。
未成年が大人に騙されるようなものには、注意が必要だ。
大人が傷つくようなものにも、注意は必要だ。
でもね、ツイッターって、ツールなんだよ。
新しいツールが出てくると長所と短所が比べられて、ケンケンガクガク騒がしいのはいつの時代もそう。
ケータイ電話があたりまえになってきた時もそうだった。ゲーム機が普及してきた時もそうだった。
もっと昔、マンガが広く読まれるようになった時もそうだったのよ。
短所、マイナス面を強調して「だから良くない」って言われたんだ。
でもさ。
ケータイやゲーム機やマンガを責めても、どうにもならないと思わない?
だって、それらはただのツールでしかないもん。
見られているのはナカの人だよ?
ツールってさ、それ自体は良いも悪いもない。
あるのは、それをどう使うのか、ってことだけ。だからツールを目のカタキにしても問題は解決しない。
使う人、使い方について、社会がある種の規制をかけたり教育したりしなければ問題は解決しないのよね。
こういうことを言うとすぐ「表現の自由はどうなる⁉︎」って騒ぐ人がいるんだけど、自由という権利を使うには責任が伴うってことを踏まえているよね?って聞き返したい時がある。
もしツイッターに規制がかかったら、自分たちの使い方がマズかったから規制をかける運びに傾いてしまったということになる。
言わば自分たちが撒いたタネ、ってことになる。

それに規制っていっても、必ず法的なものでなくてもいいの。
いわゆる「モラル」でいい。「自分がされたら嫌だなとか不愉快だなと思うことは他人にしない」ただそれだけ。
今、トラブルが多いってことは、モラルのない人が多いんだなって考えちゃう。
ツイッターを見られているってことは、つぶやいている人そのものも見られていることを自覚しておかないとさ。
いくら偽名のアカウントを作っても、つぶやいているあなたが本当は誰であっても、バレないように取り繕っても。
モラルがなければ「つぶやいているダレソレ」が炎上する。
本名のあなたが誰であるかはわかられなくても、回り回って結果的にダレソレという偽名を使っているあなた自身が嫌な思いをするの。
それはやめようよ。
年寄りは経験値を淡々と伝えようと思った
ただ、「こりゃ危ないな」とか「これは注意しとかんと」とか「前にも似たようなこんなことあったから」とかね、余計なお世話のようだけど年寄りには経験値があるの。
同じ失敗を繰り返さないでほしいと思うのは仕方がないことなのさ。
年寄りのその思いがもう古い見識に基づいていることもある。
いくら注意しても、経験してみなければわからないこともある。
だからさとうは淡々と、過去にこういうことがあってこういう結果になったのを見たよ、なんだろな、みたいなつぶやきで行こうかな、と考えている。
実は老眼のせいもあって、最初はブログで年寄り的私語をつぶやいていたらいいと思っていたんだ。
でも、開店休業状態のツイッターをどうしたものかと考えて考えて。
ぶちぶちつぶやくのなら、Twitterでもいいじゃん!って思った。
つぶやくのって、ホントは難しいんだよ。
短い言葉ほど、誤解を招きやすいからね。