カリスマだった父親についていったら天国のような世界へ行けると思っていた少年。
さまざまに改変された未来世界で哲学し冒険し悩み傷つきながら、けっきょくは父親とは違うものをめざす─────というとかんたんすぎかな?
でも、自分にとってのしあわせは、自分で考えないとつかめないってことを教えてくれる。
多様性ってなんだろう?
多様性って聞くと、何を想像する?
なんでもいろいろあり、種類がたくさん存在する、な気がしない?
検索するとウィキペディアが出てきて、単純になんでもありならいいってわけじゃないらしいことがわかる。
多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。
(ウィキペディアより引用)
なんでこんなことを聞いたのか、というとね。
この本を読んでいくとき、あれこれめんどくさい事情を読みわけながら、いつも頭の片隅に(多様性が………)とふわふわかかげてないといけない気になったから。
主人公のロトは自分がどこに属しているのか自分でもはっきりわかってないまま、話が進むのよ。
自分が何かにとらわれていると感じつつ、でも何にとらわれているのかはっきりわからない。
この本における多様性は、
1. 主人公ロトが幼いときの生きてきた宇宙船の中の世界
2. 主人公ロトが10年間生かされてきた人工都市の世界
3. 主人公が生きていけるかもと思って行ってみた惑星の世界
4. 最終的に主人公が行き着いた世界
の4つに含まれる
A.人間の立場
B.宇宙的な広がりを持つ居住可能地域をどう捉えているか
C.測れないほど長い時間の経過をどう考えているか
D.世界を改変しているメイカーの存在
にそれぞれ影響を受けているのね。
何を言ってるのか、自分でもよくわからなくなってきた
ただ、読んでいると「なんとなくこの人たちはこんな集団か?」的なモヤモヤがいくつかあることだけは感じとれる。
色味の違ういくつかのそういう集団的なものが、なれあいながら、あるいはあからさまに、ぶつかりあうんだな。
まるでウィルスのように
じゃあ、多様性ってどうやって出来てくるんだろう?
この本のタイトルにあるナノマシンについては、前作【極微機械ボーア・メイカー 】で紹介したとおり、分子科学的な自動機械、ウィルスの機械版だと思ってね。
そのナノマシンが(著者流に言うならメイカーが)結局はいろんな状況をちゃかちゃか作りだし、人間はそれに振りまわされる、ということなの。
現実の自然界だって、ウィルスで疫病や突然変異があらわれて広がって、大騒ぎしながらいろんな生き方が生まれてしまう。
必須なものなのか妥協の産物か、シェアすべきものなのか戦略なのか、いろんなパターンが存在するとは思うんだけど、主人公のロトはこう言ってる。
「しかしたぶん、本当の理由などないのだ。生き残るべき者が生き残る。気まぐれな偶然と緊急の必要性という二重のフィルターをすり抜けるのにどんな特質が最適か、だれにもわかるはずはない。」
多様性は意図してつくれるものではないってこと。
進化はデータの交換だけではつくり得ないんだね
おそらく「メイカー」なるマシンを使っても、あらわれる結果にはコミットできない部分もあるんだ。
ちなみにさとうがこの本を買った理由
だって、極微機械ボーア・メイカーを読んだもの。その続きがあるってなったら読むでしょ。
わりと真面目なのよ、さとうは。
まとめ:【幻惑の極微機械】の紹介
どこかでは前作とつながっているはずの、でも遠い未来世界の話は、メイカーの存在があたりまえすぎる世界での主人公・ロトの人生の話。
もはやメイカーが主役ではない。
第1部、第2部、第3部、エピローグという成り立ちで、上下巻2冊になっている。
だからけっこう長い。
私は下巻に入ってからやっと楽しくなった。でも上巻も読んでおかないとワケわかんないからね。
SFに限らず、物語があまり動かない場面が長いと、読んでいくのに忍耐がいるわ。
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