ユートピアにも不公平な死がある

突然だが、「」のつく単語をいくつかあげて、と言われたら何が思い浮かぶ?

この本は、最高に発達したコンピュータのおかげで「死の時代」に突入した人間が、そのコンピュータのおかげで受け取れる幸せな人生の中で唯一避けることのできない公平な「グリーニング」について、ティーンである主人公たちとともに考えていくある意味条理な話なの。

ヤングアダルト系の、エンタメ要素も入りながらの、でも「ちゃんと考えられるかな?」という結構きつい課題をこっそり忍ばせているような話なんだね。

AIが優秀でも人間の不公平はなくならないんだ。

ニール・シャスタマン(著)
目次

AIに「究極の選択」はできるか

人生は究極ばかりではないにしろ選択の連続で続いていく。今のところ、唯一選択のできないものは「死を避ける、不死となる」ことだよね。

もし、すべての人が不死となる時代が来たら、幸せかな?

「体調がすぐれない」ことにならないように体内ナノマシンが体調を管理し、「貧乏で食っていけない」ことにならないようにサンダーヘッドと呼ばれる究極のAIが社会を管理する。

もし事故や自殺で臨死状態になっても速やかに救急ドローンがやってきて対象者をすぐさま蘇生センターに運び込むから、3日も経てば元の身体で帰宅できる。

頑張れば出世できるし、つつがなく過ごしたければそうできる。

恋愛し結婚し家庭をつくって子どもも育てられるし、宗教も存在する。

………幸せ、かもしれない。ユートピアってやつかな。

ただ、このユートピアをこのまま維持するためには人口が増加する一方では困る。

だから、不死ではなかった時代の(定命の時代って言われてる)統計にしたがって一定数の人間の命を、意図的に刈り取らなければならない。これがグリーニング。

それはある時突然、そういう羽目におちいるわけで、どんな例外もない。定命の時代の死と何も変わらない。

おかしいのはグリーニングを担うのが不正も不審も不足も不可解も不条理も不公平も持ち合わせてないサンダーヘッドではなく、選ばれた「サイズ」と呼ばれる人間であること。

善悪の観念と道徳意識を持っているという理由で人間自身がその責務を負わなければならない。

さとう

善悪の観念?道徳意識?それ、究極の選択の時に困ったことにならないの?

不死のまま永遠に生きられるけれど、万に一つグリーニングに遭うかもしれない世界と、今現在のリアルな世界。

あなたならどっちを選択する?

これは一見、究極ではない選択ね。

どっちも死ぬことがなくならないなら、運良く永遠に生きられるかもしれない、完璧なサンダーヘッドの管理によるユートピアを選んだほうがいい。

でも考えてみると、不死があたりまえの世界で自分だけグリーニング(=死)を迎えるって、ものすごく不運で不公平な気がしなくない?

「万に一つ」が自分でない確率はわからないし、自分の側でグリーニングを避ける手立ては何もない。

病死しないように健康管理に努力する、が報われるだけリアルのほうがいいのかもしれない。

少なくともリアルの世界では死だけはすべての人に平等にやってくるし。

AIは究極の選択はすみやかにできるだろうけど、そもそも究極だとは思ってないだろう。

そしてこの話では、最高のAIはグリーニングのしくみには関わらないことになっている。

さとう

なんだかなぁ

サイズ(奪命者)は殺人許可証を持つ人とは同じ?違う?

サイズとは、大鎌を意味する。タロットカードの死神が抱えているような大きな鎌のこと。

キリスト教の神話的解釈における「魂の収穫者としての死」に由来するもの(ウィキペディアより)

だからこの話では命を奪う仕事を負う人間をそう呼んでいる。

じゃあ、映画や漫画に出てくるいわゆる殺人許可証を持つ人とは同じなの?

それともサンダーヘッドの管理するユートピアでは聖職者なのかな?

この話にエンタメ要素が入っているのは、「殺人許可証を持つ聖職者」という矛盾に残念ながら人間の本質がものすごく絡んでいるからなのね。

サイズとなった人の多くはおそらく(フィクションなので推測するしかないけど)凡庸だった人生が実は平等でも公平でもなく、それなのに自分は公正を目指す人生を送らなければならないと感じてる。

でも、サイズの中にはそんな真面目な考え方はもう古いと思ってる人たちが少なからずいて、だから話にエンターテイメント性が生まれるのよ。

公けに人の命を奪うことが認められている立場にいる人間が、高潔でもなく慎み深くもなく好き勝手に振る舞うようなことになったら、怖いし嫌だよね。

でも人間って、どんなに厳しく修行させてもどんなに厳しい戒律を作っても、やっぱり集団には一定数変わった人がいるんだよ。どんな集団にもいるんだよ。

もしかして、あなたにも思い当たる人がいるかな?

ちなみにさとうがこの本を買った理由

不死の時代に生きているのに、突然、不幸なクジに当たってしまったかのように死ななければならないなんてさ、話としてはおもしろすぎる展開よ。

しかも死なせる側の諸々の事情が話のメインなわけで。

似たような話の、違う視点からのストーリーなので、ちょっと変わってて面白かったの。

まとめ:本の紹介

設定はちょい未来の、最高なAIに管理されているユートピア。ほぼ幸せな生活が続くけど、グリーニングが人生に影を落としてる。

まあ、話の展開はそれほどSFなイメージはないかもね。むしろ軽くさわやかなオカルト?

いやいや、おかしな日本語になったわ。

ニール・シャスタマン(著)

なお、この話はハリウッドで映画化されるらしい。

すでにアメリカではこのシリーズの第2作も刊行されて、著者はシリーズ完結編となる第3作を執筆中だとか。続きにも興味あるなぁ。

翻訳、よろしく!

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この記事を書いた人

昭和生まれ。なのでリアルな顔写真はご勘弁を。
オタクという言葉がなかったころからSFを読んでいます。
オタクのはしくれなので読んだ本を紹介します。

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